Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

2019年6月12日「町田康と読む太宰治」@NHK文化センター青山教室

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下僕:閣下、わたくし昨夜はこのような講座を受講してまいりました。

まめ閣下:うん、知っておるぞ。だいぶ前に大騒ぎして申し込んでおったではないか。

下僕:あぁ、そうなんですよ。その理由を語るとちょっと長くなっちゃうんですけどね。そもそもは、「新潮」という文芸誌の2009年7月号に、「わたしの人間失格 太宰治生誕100周年」という特集がありまして、人間失格」を自由に換骨奪胎したトリビュート短編小説をいろんな作家が書いているんですけれど、そのなかの一つ、町田さんの書いた「尻の泉」という作品がわたくしにとってある意味エポックメイキング的な作品だったわけです。

まめ閣下:というと?

下僕:はい、それまでも町田さんの作品はとにかく文章がおもしろくて好んで読んではいたんですけれども、自分がそれらを小説としてちゃんと理解できているかというと非常にあやしいと感じていました。いまひとつその主題がつかめないというか、メタファーをとらえきれないというか。でもこの作品はもう、「ああ、太宰だよ。これ、ほんとその通り」って心の底から頷きながら読み終えたんです。まあ内容は詳しくは語りませんが、この作品の主人公はどういうきっかけか、尻のあたりから泉が湧きだすようになってしまうんです。場所が場所だけに垂れ流ししていたら恥ずかしいですよね。でも湧き出してくるものをどうすることもできない。その泉をどのように扱えばいいのか、主人公がもがき苦しむという感じで話が展開されていくんですが……。まあ、要は、町田作品を心の底から「理解した」と感じた記念の1作だったという、ごくごく私的なエポックではあるんですが。
まめ閣下:まぁ、たしかに世の中のほとんどの人にはどうでもいい話かもしらん。

下僕:さいでございます。しかし、わたくしのなかではそれ以来「町田康の隣りにはいつも太宰治がいる」的な思考が形成されてしまっていたので、新聞の折り込みに町田さんの顔写真入りでこの講座の案内が入っているのを見かけたときに、「うぉおお!なんだこれは!た、たいへんだ!女房を質に入れても行かねばならん!」と騒いだわけです。

まめ閣下:おまえに女房などおらぬではないか。

下僕:まあ、それは言葉の綾というやつで。

まめ閣下:まぁ、よい。話を先に進めようではないか。

下僕:あい。しかしそのように楽しみにしていた講座でありますが、昨夜はちょっと不安でありました。というのも、つい数日前に、町田さんのところにずっと長いこと暮らしていたお猫様が逝去されたらしいのです。高齢ではあったようなのですが、なにせ突然のことだったらしく、そのご心痛を想像したら……。

まめ閣下:そうだよな。家族を失ったばかりだというのに、人前で話をしなければならんとは因果なものだな。

下僕:本当に。でも町田さんはさすがでいらっしゃいました。いつもながら見目麗しく(白のカジュアルシャツにシルバーグレーの細いネクタイ、うっすらペイズリー柄?の入ったグレーのパーカーを羽織って、切り替えのあるええ感じのブルージーンズに黒の革の紐靴)スタイリッシュに登場、強いて言うなら御髪の後ろあたりの乱れ具合に、お疲れの様子がうかがえるくらいで、お話を始められたらすっかりいつもと変わるところなくどんどんと聴衆を引きつけていきましたよ。

まめ閣下:うん、おまえの病気はそのくらいにして、そろそろ内容の話をしたらどうだ?

下僕:おわぁおわぁおわぁ。すみません、どうしても止まりませんで。これはわたくしの尻の泉でございますな。
はい、内容でございますね。最初に「太宰治というのはどういう人だったか簡単に」と言って、太宰の生い立ち、どういう人生を送ったかについてのお話がありました。簡単に、と言ったのですが、例によって町田さん、話し始めるとどんどん長くなってしまうようでして、ざっと太宰の人生を説明し終えたときにはもう45分が過ぎておりました。

内容は、だいたいここに書いてある内容でありました。主に4回の自殺未遂と最後の自殺のいきさつ、という感じですかね。今回わたくしは珍しく予習などというものをしていったので非常にわかりやすかったです。少し前に町田さんがインスタグラムで紹介していたので。

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まめ閣下:下僕にしては準備がいいではないか。さすが今回はそれほど意欲的だったというわけだ。

下僕:はい。で、その人生において太宰は、つねに苦しみを抱えていてその苦しみにどう対処していくか、というのが執筆にもそのまま表れている、というお話になりました。太宰は「人間は苦しいのが当たり前」という考え方で、特に特権階級に生まれた自分は人よりも苦しまなければいけないと考えていた。

太宰が抱えていた苦悩とは主に:

:特権階級に生まれた苦しみ

・ぼんぼんであるがゆえの苦しみ(金銭的困窮に対する極度な恐れや左傾化もここに入る)

・薬物中毒による苦しみ

・妻の不貞、嫉妬の苦しみ

ではこれらの苦しみに太宰はどう対処していったか。

太宰はこれらの苦悩を作品のネタとしてではなく、常に全人格としてそれに向き合って書いている、常に自らの内側にその苦悩の理由・原因を求めている。常に苦しみを正面から見据えつきつめて考えざるを得なかった。ここまで掘り下げることは普通の人にはできない。なぜなら非常につらいから。

そうやって生きている太宰の行動にはパターンがあって、

1)自分の苦悩に向き合い、心の奥をえぐっていく。自己の掘り下げ

→でもそれはきつい。つらい。そのつらさに耐えるために

2-a)自己の切り下げを行う。(自らを卑下してみせる、道化を演じる)なぜなら他人に貶められるくらいなら自分でやったほうが精神の安定をはかれるから。

→しかしそうしているうちに自分のプライドがそれに耐えられなくなる。

→逆切れ

2-b)キリストに自己を重ねる。自らが犠牲となって神に人間の許しを請うのがキリストであるのだから、自分は妻を許さねばならん。

→だ、だめだ、どうしても許せない。

→逆切れ

3)やはり自分はだめだと思う。そんなダメな自分は殺さなければ、自分の思想を実現できない

→自殺

とまあ、これを4回も繰り返して、5回目にはとうとう死ぬわけです。というところで時間切れでありました。本当はこの後に、

・太宰の文体について

・太宰の文学の特徴と意義

・現代的意義

・今太宰を読むことの意味

という話が続くはずだったんですが、幸いこの講座は全2回なので、次回に持ち越しとなりました。

まめ閣下:なんだ、ほとんど持ち越しじゃないか。

下僕:ええ、でも町田さんが「東京八景」や「姥捨」「新郎」などの作品の一部を、上記特徴の現れている例としてとりあげて朗読してくれたのですよ。太宰の文章のすばらしさと町田さんの声のすばらしさがあいまって、まあみんなうっとりしておりましたよ。

まめ閣下:では受講者は幸せだったな。

下僕:それがどうやら、この講座、ラジオでも放送される予定だそうです。日程はまだ確定していないようですが、今のところ10月20日、27日の21:00~22:00に放送予定とのこと。「なんだ、タダで放送聴けるならわざわざお金出してここに来なくてよかったじゃんって話ですが、そんなことはない、ここにきてよかったと思ってもらえるようにやりますんで」と、町田さんが冒頭でおっしゃっておりました。いずれにしても時間的に2回分トータル3時間を2時間の放送にするんですから、あちこちカットされるでしょうね。

まめ閣下:で、2回目は?

下僕:来月10日でございます。まだ続きがあるなんて、すてきなことじゃあございませんか。ねぇ?