Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

2019年8月14日 トークイベント 橋本倫史x柴崎友香「まだ見ぬ「わたし」、見知らぬ街を書き記す」@下北沢 B&B

下僕:閣下、オボンです!

まめ閣下:(しばし無言)まったく意味がわからんな。

下僕:あー失礼しました。挨拶ですよー、挨拶!今ってお盆じゃないですか。わたくしの故郷では夕刻から晩方にかけて「おばんです」って挨拶するもんですからね、お盆とおばんをかけてみたんですよ!

まめ閣下:って、まだ午前中ではないか。

下僕:まぁ、いいじゃないですか。お盆に免じて。御魂御魂。

まめ閣下:(ため息)諸君はなぜか毎年この時期になるといつにもまして妙ちくりんなテンションになるような気がするが。

下僕:そうですか? やっぱりご先祖さまが帰ってくるからですかねー。輪になって踊ってるんですよ、ほら、先代の三毛猫みう様も。

まめ閣下:まあそのへんにしておけ。怪しいやつと思われるから。

下僕:ははは、閣下ってばイデアだとか言ってるくせに、霊とか怖いんですか。

まめ閣下:(深いため息)もう、寝たらどうだ。うるさくてかなわん。

下僕:えー、そんなこと言わないで。まだ朝じゃござんせんか。昨夜のこととか訊いてくださいよー。

まめ閣下:わかった、わかった。(以下棒読み)そのお盆のさなか、台風も近づいているというのに、諸君はどこに出かけておったのだね?

下僕:はいはい、昨夜はこのようなトークイベントに行ってまいりました!

 

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まめ閣下:下手な写真だな。光ってよく見えないじゃないか。

下僕:あいすみましぇん。夜道の灯りの下で撮ったもんで。

まめ閣下:でも昨夜そんなイベントに出かけるなんて言ってたかね?

下僕:あー、イベントを知ったのも前日くらいで、やはりお盆なんで人が少ないせいか「当日券もあります」ってつぶやきを見て、急遽予定変更して行ってきました。

まめ閣下:突然行く気になったんだにゃ。

下僕:柴崎さんの作品は文芸誌に掲載されたときだからかなり昔になっちゃいますけど「ハルツームにわたしはいない」と「春の庭」の2作しかたぶん読んでいないし、橋本さんについては恥ずかしながら今回のイベントまでまったく存じ上げませんで。なので、行くのはちょっと迷ったんですよね。でも結果的に、行ってよかったです。っていうか、すごくよかったです。

まめ閣下:おい、その情けなくも貧弱な語彙、なんとかならんか。

下僕:そうせかさないでくださいよー。今からちゃんとお話ししますからぁ。本質と言うのは簡単な言葉で言い表せないものなんですよぉ。

まめ閣下:まったく屁理屈ばかり達者になりおって。

下僕:今回のイベントは橋本さんの新刊「市場界隈・・・」の刊行記念ということだったんですけれど、お話のなかで橋本さんの「ドライブイン探訪」という本についてもたくさん言及されてました。柴崎さんも著作のタイトルだけ拾っても「わたしがいなかった街で」「その街の今は」など街を描くことに力を注がれているし、芥川賞受賞作の「春の庭」は家が大事なモチーフになってますし、とにかく空間というものに強いこだわりがあるように感じました。学生時代に写真部だったという話をされて、なるほどそれが源か、って思いました。

まめ閣下:街や空間を描く二人。

下僕:まあもちろんそれだけではなくて、お二人に共通するのは人並み外れた「人に対する興味」なんですよね。でも人っていきなり訪ねて行って「あなたのことを書きたいから話を聞かせてください」とか言ったって話なんかしてくれない。時間と手間をかけて関係を築いていってようやくちょっとだけ本当の言葉が聞ける。橋本さんの著作は、「市場」にしても「ドライブイン」にしても、ものすごく時間をかけて手間暇をかけてるという印象を受けました。「市場」のなかに掲載されているたくさんの人物写真を柴崎さんが褒めていたんですけれど、そういう関係の構築があってこそですよね。お話を伺っていても、人に対しても物を書くということに対しても、常に真摯に向き合っているという印象を受けました。

まめ閣下:なるほど、ドキュメンタリーとはそういうものだんだろうにゃ。

下僕:柴崎さんは小説ですけれど、二人に共通しているのは、書くにあたって「表現しない」というスタンスでした。つまり「自分のジャッジ」や「自分の内面」から離れて、そこにあるものをそのまま書きたい。実感を伴ったその時の個人の在り方でしか見えないものをとらえたい、という姿勢。たとえば日常の何気ないひとこまや、後になってみるとあれはいったい何だったろうという一瞬を書く。それによって「あの時代はこうだった」というような単純な図式に落とし込まれないものが残る、今自分の前にいない人とも一緒に生きているというような、町に流れている時間をも感じられる。

まめ閣下:ふうん、いい言葉だにゃ。

下僕:はい。柴崎さんは取材して書くということはあんまりないとおっしゃってましたが、人に対する興味という点では同じように強烈にあって、でもそれは「聞いてみたいけれど簡単には聞けない」から、想像、つまりその人の視点で世界を見てみようとする、と。そのためには、たとえば少し昔のことを書くならその日の天気や気温も調べて、ああこんな天気だったらこういうふうに感じるのではないかと想像していくというのを聞いて、ああ、わかる、と思いましたよ。

また、「配置」することで、小説のなかに自分の予想を超えたものを起こすことができるっておっしゃってました。風景や家というものにこだわるのは、そこに人の内面がはみ出しているからだ、と。この「配置」の感覚が、柴崎さんの作品に共通するものなんだな、と思いました。写真についても文章についても、ある一瞬を切り取った断面を作るもので、撮った(書いた)そばから過去になっていく。でもそれを見る(読む)人は未来にいる。だから、写真も小説も、結果的に消えていくものを残す作業になっているんじゃないか、という言葉にはっとさせられました。そう、わたくしもやはり、消えてなくなってしまう一瞬を残したいから書くというところからスタートしていたな、と気づきましたよ。というか、思い出させてもらったのかな。

まめ閣下:気づき、というやつだにゃ。

下僕:あとね、柴崎さんがおっしゃっていた「共感」の話に深く深く同意しました。今の時代って、映画でもなんでもみんな感想に「共感できた」「共感できなかった」というデジタルに〇かXか的な判断をして、だからよかった、悪かった、なんていうけれど、あれは違うんじゃないか、と。「小説というのは自分が経験していないことを思い出すこと」であって、小説を読んだり書いたりすることで、自分にないもの、自分とは違うものを理解してその感情を共有することができる、それが本当にいい小説であり映画であるんじゃないか、っておっしゃって。わたくしもずっと「共感できるから好きという感覚に共感できない」と言ってきたものですから、そうだ、そうだ、と。さらに柴崎さんは、小説を書くというのはただひたすら一人で内面をみつめつづける作業だから時々自分でいっぱいになって鬱陶しくなるけれど、そういうときには自分と違う考えをしている人がいるというのが支えになるともおっしゃってましたね。いったんそこから離れて客観視することが可能になる、というようなことでしょうか。

まめ閣下:それは物を書くうえで本当に必要なことじゃないのかにゃ。

下僕:ほんと、そう思いますね。あと、橋本さんの話にも「あ、それわたくしも同じ!」と頷くことがいくつか。橋本さんは以前ZAZEN BOYSというバンドにのめりこんでできるだけたくさんライブを見たいっていうので原付で日本中を追いかけて回っていた時期があるんだそうで。まあそういうのめりこみの感覚わたくしにもあるわぁ、と思ったんですが、

まめ閣下:(苦笑い)

下僕:それだけじゃなくて、その道中で同級生の昔住んでいた町なんかを通りかかったらその母校なんかを見に行っちゃったりする(その友人は一緒にいないのに)とか、前にこのイベントで柴崎さんが箕面ビールを飲んでいたって読んだから今日は自分もそれを飲もうと思ってやってきた、っていう話とか。別にすごく好きとかそういうわけじゃないんだけどそういうことをやりたくなってしまうところがあるんだそうで、そういうのも妙に自分と共通するところがあるなぁと。

まめ閣下:まあ、それはデジタル式〇Xの共感ってやつだな。

下僕:そう、そう。柴崎さんが美容院の娘で小さいころからお店を手伝わされていて、だからこそ自分は美容師にはなりなくなかったっていう話もむっちゃくちゃ共感しました。

まめ閣下:そこは同じような境遇で育ったことに「親しみを覚えました」というべきじゃないかな。言ってる傍から「共感」の使い方を間違えおって。

下僕:はっ!わたくしとしたことが!

まめ閣下:だから諸君は愚じゃ、というのだ。

下僕:それにしてもB&B、すてきな本屋さんでしたよー。揃えている本がいちいちアンテナにビビッとくるようなラインナップで。普通じゃないんです。おまけに本を読みながらビールやワインも飲めるなんて夢のような場所じゃないですかぁ。また行こうと思いますよ、下北沢、駅前がずいぶん変わっちゃって少し迷いましたけど。

まめ閣下:うん、楽しかったのはよくわかったぞ。(ふゎあああ、とあくび)イデアのタイムリミットが来た。御免。

ドライブイン探訪」、こちらも良記事。

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