まめ閣下:おい、下僕よ。最近ちっとも家におらんではないのかにゃ? 予の下僕としての仕事はどうしたのだ。
下僕:最近とかおっきくくくらないでくださいよ。金曜の夜と土曜日、出かけただけじゃないですか。金曜日は横浜で汝、我が民に非ズの実演で、土曜日は大磯で読書会だったんです。
まめ閣下:また「康さん病」か。
下僕:そこは是ッ非(ぜっぴ)「康さん活動」もしくは「康さん参り」と言ってほしいですね。
まめ閣下:お、さっそく出たな。井伏弁が。
下僕:あはは、さては今回の課題図書ご存知ですね。遠回りしないでさっさと参りましょうかね。こちらの読書会に出かけてまいりました。
まめ閣下:あいかわらず下手な写真だな。通りを走る車が映りこんでいて肝心の課題図書のタイトルが見えないではないか。
下僕:あやや、ほんとうでございますね。しまった、これ一枚っきりありませんよ。しかたない、課題図書は井伏鱒二先生の「朽助のいる谷間」でございました。この大磯の読書会は定員が少ないこともあって大人気でして、今回も午前0時から申し込み受付開始だったんですが、夜が明ける前に満席になっちゃったんだそうです。なんたって町田さんとじっくり本の話ができる会ですからねぇ、当然ですよね。
まめ閣下:とか言ってもなかなか気楽に発言するってわけにもいかないんだろ?
下僕:わたくしこの読書会は前回に引き続き2回目の参加でしたが、前回はまったく発言できませんでした。町田さんは参加者にどんどん活発に発言してほしいみたいなんですが、やはり周囲は知らない人ばかりだし、町田さんを前にして文学について我が愚なる考えなど口にするなんてちょっと躊躇してしまいますよねぇ。
まめ閣下:ははは、諸君がそのような恥じらいなど持ち合わせていたとは意外である。
下僕:え、わたくしはまっこと小心者でありますじゃん。中年太り気味ではあれど面の皮はさほど肥大化しておらず・・・まぁ、そんなことはどうでもよくってですね、同じような人も多いためか、今回は事前に感想など作品について思うところを書いたものを用意して行けば町田さんが目を通して会のなかで適宜取り上げてくれるということになったんですよ。で、わたくしも、話すのは苦手でも書くのは好きでございますから、やるぞやるぞって張り切って、A4の紙に2枚半も書いて提出してしまいました。まぁ、それを全部ここで披露するってのもいたずらに長くなるだけですからね、やめときますが。
まめ閣下:で、それを町田さんは取り上げてくれたのかい?
下僕:そのまま取り上げたわけではなかったですが、目を通してくれて話の中に「ここでこういうところに着目した人もいた」みたいな紹介をしてくれてましたよ。それで会のなかでもようやく発言できたりもしたので、わたくしとしては是ッ非またこのシステムでやっていただきたいです。
まめ閣下:肝心の作品についての話はどうだったんだ?
下僕:こちら、読書会を主催されている湘南国立大学校さんのまとめががたいへんすばらしいのでご覧くださいませよ。
まめ閣下:むむむっ、こんなこと公表しちゃって町田さんは大丈夫なのか? 他の選考委員の先生方から反感もたれたりしないのかにゃ。
下僕:あぁ、誰とは申しておりませんからその辺はむにゃむにゃいってごまかせばいいんではないでしょうか。
まめ閣下:「井伏の文学は自己表現ではなく自己隠し」という風に切り出されているけれど。
下僕:はい、自分というものをひた隠す、太宰が力づくで直球を投げているとするなら井伏はゆるゆるの力ないカーブ球を放ってくる、みたいにおっしゃってました。井伏の作品の特徴を簡単にまとめると、
1)熱くならない
2)大声を出さない
3)ユニークであること(他人が真似できない文体・表現)、目がいい、耳がいいなど感性の鋭さによるものかも
だと言ってました。その「隠す」という姿勢は、同人誌時代に左傾化する周囲にそれを求められたけれどどうしても受け入れられなかった経験から生まれたのでは、とおっしゃってましたね。みんなと違うことを言い出せない状況のなかで、屈曲しながら別の表現を目指す、暗示や倒壊へ向かったと。なので、この作品も一見するとわかりやすくなんでもなく読み流してしまいそうなんですが、テキストに隠されている本心がときどき透けて見えている箇所を取り上げて掘り下げていくというやり方で読書会は進みました。
わたくしなんかはなんとも素直というか根がまぬけでぼんやりしているので2回読んでも、朽助という可愛らしいお爺さんと私の心の交流、朽助の孫娘タエト(アメリカ人とのハーフ)の祖父を思う心情とその少女に私が抱くほのかな好意、ダム建設によって住んでいた場所を奪われる老人の悲哀を、押さえた筆致で、また風景や建物、動植物へ託すことによって細やかに描写したええ話だなぁ、という感想にとどまっていたんですよね。しかし、なんだか町田さんが「ここは何を表現してるんだと思います?」ってとりあげた箇所を深読みしていくと、私がタエトという少女に抱いている感情はわたくしが考えていたものよりもっと欲情に近いものだった、実はエロエロだ、みたいな発見があったり、井伏自身の文学観や世界観が透けて見えるところがあったり。
町田さんが疑問を投げかけた箇所をいくつかあげますね。
・朽助は幼年期の私に英語を教えるときになぜ袴(ひきずるほど長いもの)を履いていたのか。
・授業が終わって私が帰るときになぜいつも「橋の上に立ち止まって川をのぞいてはならない」と言ったのか。
・最初に杏が出てくるシーン。朽助は乱暴に杏を扱うが、タエトはどのように扱っているか。私は? 杏が象徴しているものは何だと思う?
・次に杏が出てくるのは雨風が強くてタエトが眠れないでいる場面。雨風とは何か。眠りに落ちたタエトの手から杏が転がり落ちてしまってから雨が止んだ、というのはどういうふうに読めるか。
・ダムの底に沈む地面を見て「魔物」の話になる。「魔物というのは、いっそここいらから湧いて出るのかも」と朽助はいうが、「魔物」とはなんだろう。橋の上から川をのぞくな、と言ったことと関係があるのかもしれない?
・「水の棍棒」や「丸太」は、何を表しているのか。
・家が水に沈んだとき屹立する柱は?
それぞれについて町田さんの話を聞きつつわたくしなりに考えたのは、袴のエピソードは朽助が教えるという行為を厳格に考えていたことの表れで、なおかつ引きずるほど長いってのが愛嬌というかとぼけた感じを出していて、これは作品のあちこちに見られると思いました。橋の下を覗くなっていったのは、深みの中に何か非常に惹かれるもの(美しいものや妖しいものなど)を見て引き込まれ帰ってこれなくなってしまうかもしれないからじゃないかと。深淵をのぞくといずれ死につながる、というような。杏は、授業で他の方も言っていたようにアダムとイブのりんごのような、禁断の実的なもの、性への欲望やあるいは若さそのものというふうにも考えられるかな。荒れ狂う雨風は、タエトの信仰、神の戒め的な、罪の意識というか、そんなものかもしれない。だから手放した時に止んだ。棍棒とか丸太は、男性の象徴かなという気がします。私がタエトに抱く性的な欲望の表現なのかも。家が沈んだ後水から唯一立ち上がってくる柱は、朽助だと思いました。家が沈められてもこれだけは沈むことない意志の強さや魂の強さのような。
まめ閣下:なるほど、いろんな深い意味が隠されているように読めるというわけかにゃ。で、エロエロってのは?
下僕:もう、人がまじめに話してるのに、どうしてそっちに行きたがるんですか? 面白い箇所についてももちろん話はあって、「私は知っている」で始まるところは文体チェンジのシグナルで、その先はギャグだよって解説が。その後あからさまな自分の下卑た欲望などを主語を「私たちは」にすり替えることで「一般論」にしてごまかしているとか。あと、強い雨風の吹く夜のシーンに朽助と私がはさみ将棋をしている場面を挟んだりするのは、話が直線になりすぎないように逸らすための老獪なテクニックという指摘もありました。このように読んでいくと、感情を極力表現しない、自分を出さないでたんたんと書かれているはずの井伏作品が、実は非常になまめかしかったり、作者の嗜好や下世話な欲望があからさまに見えたりしてきて、非常に手の込んだやり方で独特のユーモアとかとぼけた味わいを作り出しているというのがよくわかりましたね。
まめ閣下:たしかに言われなければ立ち止まって考えたりしないようなこともたくさんあるのう。
下僕:以前から町田さんは、同じ作品を何百回でも読めとおっしゃってました。本当にそうだなぁ、ざっと筋を追うだけでは作品のことを理解することはできないとつくづく感じます。あ、まとめの感想にも書かれてますが、「作品にちょっとひっかかるところ、よく理解できないところがあっても、それを昔のことだから、古い作品だから感覚が違うんだろうと受け流してしまってはだめ」と言ってました。作品がつまらなくなってしまう、と。ちゃんと読めば時代に左右されない普遍的なものを発見できるのだとも。そういうひとつのことをじっくり考える、何度も読み直すのって、今のネットでなんでも情報をつまみぐいしている時代のなかではなかなかできなくなってる気がしますね。
まめ閣下:そうだにゃ。
下僕:あー、あとね、本当ならもう少し少ない人数で活発に議論するような読書会をやりたいんだそうです。一文一文丁寧に読み取っていく、各自が感じ考えたことを持ち寄って話し他の人のを聞く、そういう読書会を通じてこのくらいの文章をちゃんと読める力を養っていかないといずれこの国が滅びてしまう、だから皆さんも自分の住んでいるところでそれぞれに同じような読書会をどんどんやって広めてくださいって熱くおっしゃってましたよ。我々に町田さんから下されたミッションですな。
まめ閣下:はぁ、それはつまり、また我が家に人がたくさん集まる日が増えるってことなのかな。
下僕:まぁ、そんなには増えませんよ。それに閣下は客人がお好きじゃありませんか。
まめ閣下:それはもちろん、予に奉仕する僕は一人でも多いほうがよい。
下僕:あー、もしもし? 客人は下僕じゃあありませんよ。