Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【イベント】2020年1月16日 伊藤比呂美X町田康「パンク山頭火・スペシャルトークと朗読ナイト」

下僕:ふぅー(ため息)・・・猫と暮らすはゲロと暮らす。

まめ閣下:ふぅわあぁあ(あくび)なんじゃ、そりゃ。

下僕:なにって、こりゃ自由律俳句ってもんですよ。

まめ閣下:あ、さてはまた何かにかぶれてきたのかにゃ。

下僕:ご明察。わたくし昨夜このようなイベントに行ってまいりました。

 

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まめ閣下:また康さん病か。

下僕:この場合は是ッ非「康さん詣で」、とおっしゃっていただきたい。

まめ閣下:詣で。で「山頭火」について学んできたってわけだな。

下僕:はい、遅まきながら。っていうか、まだ全然わかってませんがね。恥ずかしながら、「山頭火」と聞いてまっさきに思い浮かぶのはラーメン屋って体たらくでして。

まめ閣下:まったくほんとにわが下僕ときたら、そもそもの出来が愚なるうえに不勉強とは情けないにもほどがあるにゃ。

下僕:まぁ、おっしゃる通りで反論の余地はございませんわね。とほほ。

まめ閣下:では中身のほどもあまり期待できないが、一応報告とやらを聞こうではないか。

下僕:昨夜は、町田さんと、詩人の伊藤比呂美さんの対談という形式でした。最初に町田さんが山頭火が翻訳したツルゲーネフの「煙」という作品を朗読。町田さんは最初「朗読って別にいらんと思うんですが」とかおっしゃってましたが観客の期待に応えて結構長い朗読でした。文章が滑らかで昔の翻訳文という感じではなく、町田さんの朗読技術もあって伊藤さんが「なんだか町田作品を聴いてるよう」と。次に伊藤さんは「一草庵日記」から昭和15年10月8日を朗読。じつはこれが最後の日記、この3日後に山頭火は脳溢血で亡くなったとのことでした。

 その後は山頭火についてお二人が語ったわけですが、詩人である伊藤さんと作家である町田さんの読み方の違いというか、作品への向き合い方の違いが面白かったです。伊藤さんが「どの句が好きですか?」と町田さんに訊ねても、町田さんは「どの句がどう、と今は言えない。なぜならまだ全体を把握していないから」という答え。伊藤さんがあくまで山頭火の日記を通してそこに書かれた歌とそれが詠まれた情景に目を向けて追体験していくのに対し、町田さんは「やはり作家であるから、なんでこの人がこういうふうになったのか、というところに興味がある」と。

 では、いかにして山頭火は「放浪の俳人」と呼ばれるようになったのか。それはつまるところ実家の没落によるものが大きい。太宰や中原中也、内田百閒、漱石森鴎外萩原朔太郎などほとんどの文学者は家が金持ちである。(ここで、実家が貧乏だったのは室生犀星町田康だけ、と言って笑いをとる。)個人が困窮したところで実家にはお金があるわけだが、山頭火の場合は父親がダメダメで大金持ちだった家をつぶしてしまった。酒と風呂をこよなく愛したと言われているけれど、実際は最後はほとんどルンペン、乞食のように貧しい生活に陥っていて、「酒が飲みたい」と思っても飲めるのはどぶろくを焼酎で割ったようなものだし金がないから風呂くらいしか楽しみがなかったのであろう、と。ここであの太宰についての講座でやった車のたとえ話が登場。太宰はもともとは品川ナンバーのメルセデスベンツを持っているような家の出であるにもかかわらずそんな金持ちの自分が嫌でわざと八戸ナンバーの軽なんかに乗っている。でもその軽で新宿辺りを走っていたら後ろからやってきた練馬ナンバーのプリウスに煽られて逆ギレしてしまう、というようなやつ。でも山頭火の場合は、もはや実家にベンツはないんです。もはや軽しかない。マジで貧乏。だから早稲田の文学科かなんかに入っていずれは文学で身を立てようと考えてたはずだけれど、中退。神経衰弱でやめたことになっているけれど本当のところは金が続かなかったというのがあるのではと推測。そんなふうに町田さんは人間としての山頭火を追っているようでありました。「山頭火は、人間として普通の人」と感じているようで、「普通の人がやることが面白い、小説というのはそれを書くもの」という言葉に納得。

 また「俳句論」に書かれている内容についても言及され、「短句形では確信を持って陳腐脱出の要がある(注:うろおぼえ)」ということについて語っていらっしゃいました。つまり「みながそういうもんやと思ってること(前提)」を脱出せよ、ということ。みながそういうもんやと思っているというのは、「逸脱こそがシブい・かっこいい」という暗黙の了解のようなもんで、それがわかってないやつはダサいみたいな考えがあるけれど、それこそがダサい。つまり一般にダサいと思われていることに戻る、みたいな。でもこの部分はちょっとわかりにくくて、伊藤さんも「???」という表情になってちょ激論っぽくなってました。ここで伊藤さんが、カラスウリの句について、最初は「藪で赤いのがカラスウリ」だったのが、後で「藪で赤いはカラスウリ」に直しているのを指摘。どうして直したのかについてお二人が意見を交わしました。強さで言えば最初の句。でも滑らかなのは直したほう。しかし滑らかになった句には俗っぽさというか歌っぽさが出て、俳句的にはダサい・かっこ悪いとされる。その暗黙の了解(前提)を覆すためにあえて直したんじゃないか、と町田さん。

 わたくしの不勉強ゆえか、町田さんの講座にしては、なんとなくこなれていない・見極め切っていないと感じる部分がありましたが、それもそのはずで、山頭火について町田さんは、この連載(このイベントの主催である「WEB新小説」)を引き受けるまで読んだこともなかったしあまりよく知らなかったそうです。予備知識がない自分が、連載を通して自分もわかりたいとおっしゃってましたよ。おほほ、わたくし、町田さんですらそうなんだとうれしくなってしまいました。

まめ閣下:あのなぁ、あまりの愚に予は言葉を失うぞよ。ぜっんぜん、まったく、お話にならんくらい、レベルが違うー。

下僕:っく、冗談、冗談でございますよ。でも連載を通して学んでいくさまを読めるというわけですから、わたくしも是ッ非、一緒に学ばせていただきたいと思いましたよ。「WEB新小説」2月1日創刊だそうで、今会員登録すれば創刊号は無料で読めるらしいです。あ、わたくし別に宣伝料などもらってませんよ。