Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

2020年4月7日 非常事態をくぐりぬける文学とは

下僕:閣下、とうとう東京に今夕非常事態宣言が出るそうですよ。

まめ閣下:でも外出禁止とか交通機関の封鎖とかの強制力のあるロックダウンではないからにゃ。食料や日用品の買い物、散歩などは制限されないと言うではないか。

下僕:とはいえ、やはり気鬱ですよ。初めてのことで実際どういうことが起こるのかわからないから不安になります。昨日、小麦粉を切らしてスーパーに行ったらもうなんというか、すごい感じになってました。買いだめする人たちでごった返していて、ここが一番感染リスク高いんじゃないかって思いました。棚はあちこち空っぽになってるところもあり小麦粉も手に入りませんでした。

まめ閣下:困ったことだにゃ。買いだめはやめたほうがいい。商品の供給はこれまでどおりあるのに、みんなが一斉にいつもよりも大量の品物を購入することで物流が追い付かなくなってしまうのにな。結果的に品薄になって、本当に必要な人が買えなくなる。貴君もずいぶんとトイレ紙の不足についてぼやいておったではないか。

下僕:はい、いまだにわが住まいの近辺の店にはトイレ紙ありませんよ。開店前に並ばないと入手できないみたいです。つまりこの体験があるから、またみんな食料を買い溜めしてるんじゃないかという気もしますね。供給は途絶えない、在庫はふんだんにありますっていくら言われても実際に手に入らない期間がこれだけ続くとね。食料の場合はトイレ紙より危機感ありますよね。トイレ紙は自宅にいるならウォシュレットとタオルでなんとかしのげますからね。

まめ閣下:しかし生産自体は途絶えないわけで、供給が追い付かなくさせているのは消費者の行動に起因するわけである。いわば自分の首を自分で絞めておるのではないかにゃ。

下僕:ある調査によると、トイレ紙などの買いだめ行動に走った人は全体の20%に満たないようですよ。それでこの混乱が引き起こされてしまう。食料品が不足するような事態になったらもっと多くの人が買いだめに走るかも。そしていよいよ供給ができなくなったら、配給制とかになるんですかね。まったく戦時中じゃありませんか。

まめ閣下:まあある意味ウィルスとの戦いのさなかではある。

下僕:はぁ、まったく気鬱です。日々、憂鬱が増し増しです。家にいる時間が増えてこれまでの積読本がようやく一気に減らせるだろうと思っていたのに、案外これが読めないんですよね。気持ちが読書に向かわないんです。

まめ閣下:不思議なものだにゃ。

下僕:やはり精神的に集中が難しいのかなって思います。思い返せば東日本大震災の後も、わたくしはしばらく読書ができなかった。とくに小説が読めるようになるのにはだいぶ時間が必要でした。フィクションの世界に没入できないというか。それまで好ましく思っていたものが嘘っぽくみえたり受け付けられなくなったりして、難しかったです。そのころパラダイムシフトって言葉がよく使われましたけど、自分自身の問題として一番そこに実感しましたね。このコロナ禍を無事切り抜けられたときにもきっと同じような世界の変容やパラダイムシフトがあるだろうと考えておりましたら、辻仁成さんが日記にわたくしが考えていたようなことを書いていらっしゃいました。

「人間はこの新型コロナウイルスの出現で、今後間違いなく、価値観を変えることを余儀なくされるということだけは間違いないようだ。これまでぼくらが享受してきたような文明による幸福感、贅沢感、価値観を一度放棄せざるを得ない時代がやって来る、もしくは既にやって来たということかもしれない。新しい価値観はこれまでの世界の経済の動きや政治の仕組みや人類の幸福感までをも変質させる物凄い強制力を有しており、この恐ろしいほどの変化によって人類は、全ての方向の変更を迫られ、全ての価値観の喪失を命じられ、あらゆる幸福感を組み直さなければならない時代へと押しやられるのかもしれない。その全く想像もできなかった価値観の中で、人類はこれまでとは違う生き方を模索することになるのだろう。」

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まめ閣下:にゃるほど。これはまさに大震災後に経験したことだったにゃ。

下僕:ほんとうにそうでございました。

まめ閣下:それでも貴君は結局本を読み小説を書き始めたわけではないか。書き始めるのが早すぎた、なんでもすぐに書けばいいというものではないと、某大作家先生からお叱りを受けていたような・・・。

下僕:ははは、そうでしたね。しかし書かずにはいられなかったのですよ。しょうがないではありませんか。ただ書けるものは非常に限られましたね。「今自分が書けることはこれしかない」って必死にしがみついた感じでした。

まめ閣下:それで読書のほうはどんなだったかにゃ?

下僕:やっぱり最初に手に取ったのは村上春樹でしたかね。阪神淡路大震災後の短編集、「神の子どもたちはみな踊る」だったと思います。今こうしてぱらぱらめくってみて当時どういう気分でそれぞれの作品を読んだんだっけって考えますが、「かえるくん、東京を救う」を今読んだら泣いてしまうかもしれないって思いました。

 

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まめ閣下:文庫の表紙もカエルにゃ。猫はカエルを食べると病気になるから食べないほうがいい。

下僕:そうなんですか?

まめ閣下:そうにゃ。マンソンっていうやっかいな虫に寄生される。

下僕:ほほう、それは要注意ですね。で、本の話に戻ってもいいですか?

まめ閣下:むろん。

下僕:次に読みふけったのはカーヴァーでした。春樹さんの翻訳だったので手に取ったのですがすっかり魅了されました。長編を読む体力がまだなかったから短編ばかりでちょうどよかった。夏の間、ただひたすらカーヴァーを読んでた。

 

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下僕:あんまり明るい話はなくて、でもしみじみ心に沁みる。なかでも「ささやかだけど、役にたつこと」は、この前の3月11日に読み返して号泣してしまいましたよ。こういうなんというかつらいことがあった後って、やっぱり明るいだけの話は読めなくて、どこかつらいものを欲するところがありますね。ディストピア小説がいつもより読まれるのもそれなのかもしれません。でもカーヴァーはつらいだけじゃないんですよ。絶望の暗い森のなかに一筋の光が差し込む光景が見える。これからわたくしが書くものも、少なからずそういうものしかないような気がします。

まめ閣下:そういうのが書けるといいにゃ。で、最近は何を読んでおるのだ?

下僕:先日まで内田百閒先生にぞっこんでした。「阿房列車」シリーズを3巻読了して、とくに最後の「第3阿房列車」にはいきなり夢の猿、狐、気味の悪い乗客など怪しいものがいろいろ出てきて百閒節もいよいよ冴えわたりもう最高なんです。もっと百閒先生を読みたい気持ちが抑えられず、ちょうどあちこちで書評を目にした「小川洋子と読む 内田百閒アンソロジー」を手に入れすぐに読了しました。人気なのか欠品になっていて、中古で買いました。

 

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下僕:各作品の最後に、小川さんの短いコメントがついてるんですけど、これもまた作家ならではの独特な世界で。解説とも紹介とも違う、ひとつの作品ですね。集められた作品には、鉄道おたくや猫狂いの百閒先生ではない世界、それも多岐にわたる世界が広がっていてまた沼にはまりました。ひとつ残念に思うことが・・・

まめ閣下:ん? それはなんだ?

下僕:はい、これはアンソロジーでして、つまりこれまでの作品集からピックアップして編まれたものであるので、これから百閒先生の短編集を買って読もうとするとどうしてもそのなかに見覚えのあるものをみつけてしまう、ということになるのであります。

まめ閣下:ことのほか良い作品を集めているのだからしかたないではないか。

下僕:はい、そうなんですけどね。なんだかちょっとつまみ食いして損しちゃった、みたいな。美味しいってわかってるんだからコースで出てくるのを楽しみに待ってればよかったじゃん、自分、みたいな。

まめ閣下:なんじゃ、そりゃ。

下僕:でもこうしていろんな本を楽しみに読めるのがいつまで続くかな、という不安もあります。震災のときと違って、状況が徐々に悪くなっていってるので、今後どういう精神状況に追い込まれるのか。そしてそのときに自分が読める作品はなんだろう、って思う。

まめ閣下:そうだなぁ。なにせ先行きがわからないからな。

下僕:そうでありますね。でもまたこのように、その時々の感じを閣下とお話していけばいいのですよね。なるべく笑いたいものですが。

まめ閣下:あー何度も言うようだが、猫は笑わんよ。