Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【読書会】2020年10月3日「観光」ラッタウット・ラープチャルーンサップ

下僕:ねぇ、閣下、今まで知らなかった素晴らしい作家に出会うって本当に幸せなことですねぇ。

まめ閣下:にゃ、にゃんじゃ、藪から棒に。

下僕:いえ、昨夜はほら、小説仲間たちで定期的にやってる読書会でしてね。その課題図書がこちらで。

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下僕:今回、課題として提案されるまでまったく知らない作家の作品でした。

まめ閣下:ふん。なんという人だ?

下僕:え? それ訊くんですか? えっと、えっと、ラッタッタ? ウッド? チャラ? チャンプルー? ・・・サップ・・・とかいう・・・うんと。

まめ閣下:な、なんと申した? もう一度言ってみい。

下僕:え、だからー、ラッタッタ・・・うーっむ、とにかく一生おぼえられなさそうな長いお名前であります。

まめ閣下:おいおい、それでよいのか。

下僕:えー、すんません、おいおいおぼえていきますよ。この方、タイ系のアメリカ人でして、タイの方ってお名前がみんな長すぎるらしいですね。だから普通は名前と全然関係のないあだ名で呼び合うらしいですよ。キュウリ、とか。

まめ閣下:なんじゃ、そのキュウリってのは。

下僕:ほら、野菜の。

まめ閣下:そうじゃなくて。まぁ、もうよい、さっさと本の話に行ってくれ。

下僕:はいはい。とてもとても語りたい作品ばかりなので、そうさせていただきます。これは短編集でして、収録作品7作のうち今回は「ガイジン」「徴兵の日」「観光」「プリシラ」「こんなところで死にたくない」の5作を取り上げました。苗字は長すぎるのでファーストネームで呼ばせていただきますが、ラッタウットさんは1979年シカゴ生まれ。ということで、まだ若い作家、と思ったんですが、計算したら今41歳、そんなに若くもないか。ただ、才能が作家として認められたのはずいぶん早かったようです。2004年若干25歳で「ガイジン」をイギリスの文芸誌で発表したとあり、それがデビューなのかな。今回のどの作品を読んでも、みずみずしく若い才能が弾けて迸っているようで、眩しいほどです。推薦してくれた方以外は全員初読の作家でしたが、多くの方がもう「大好きっ」てなってしまってました。少年の目で見たものを書いている作品が多くて、軽い語り口なのに緊張感があり、ひりひりしてひやひやして最後はすうっと胸がすくカタルシスがあると評した方も。5作のなかで特に好きな作品というのも、けっこう人それぞれ分かれていて、作品の多様性というものを感じます。わたくしは「ガイジン」「徴兵の日」「プリシラ」が特に好きでしたが、「こんなところで死にたくない」が大好きという人が複数名、表題作「観光」が素晴らしいという人も複数名、しかしそれらの作品が、切実でつらい現実が描かれていて読み返すのはつらいという方もいたりして。そういう多様な意見が聞けるのが読書会のよさですね。

まめ閣下:ふぅん。それぞれの作品についてちょっとずつ教えてくれにゃいか。

下僕:じゃ順番に行きましょうか。

「ガイジン」世界中から観光客が集まるタイの観光地で暮らす少年とそのペットである豚のクリント・イーストウッドの話です。短編とはこうあるべき、こうかかれるべき、というような、ある種理想の短編。書き出しでぐっとつかまれてしまう。書き出しとラストの文章のすばらしさは全作に共通してる。豚のクリントに対するいとしさが読んでいるうちにどんどん高まって最後の一文で愛が溢れて胸がいっぱいになっちゃった、って人も。ドライな書きぶりと、居場所があるようでないような感じが片岡義男を思わせるって人もいましたね。わたくしは、自分が日本人観光客としてアジアのリゾートを訪れたときに感じてしまううしろめたさが裏付けされたように感じました。

「徴兵の日」終始現在形で語られていく中で、時おり、作品の時勢の未来(つまり書いている時点)から過去を振り返って語る視点が挿入されて、その部分が非常に印象的。主人公と友人のそれぞれの「みじめさ」を書いていて、研ぎ澄まされた瞬間を摘まみ上げる名手だと感じた。徴兵のくじ引きで普段キティとあだ名で呼ばれている女装愛好者が本名で呼ばれるシーン、本当の名前というものの物語的な重さをあたらめて考えた、という人も。くじ引きのシーンはちょっとショーのようで、エンターテインメントの観客として楽しむこともできてそういう意味では文学的ではないかと最初は感じたという方も。まあたしかにこの作品は文体とか技巧のすばらしさで読ませるようなところもあるのかな、と思いました。でもやはり経済力の違いで友人を裏切ることになる主人公のやましさやせつなさが垣間見えてこれもひりひりする作品ではあります。

「観光」網膜剥離が進行してもうすぐ目が見えなくなるという母と旅行に出る青年の話です。原文のSightseeingという単語のなかに「光」はないけれど、作品自体に光を感じ、「観光」という日本語にするとそこには「光」があって、視力を失っていく母の状況とも呼応して美しい。まあSightという言葉自体が視覚の意味でもありますけどね。行ったことがないはずなのに、その情景が鮮やかに目に浮かぶ。非常に映像的。冒頭市場で売り子とやりあってサングラスを手に入れるシーンが生き生きと素晴らしく、そのサングラスも海の上で失くしてしまうという展開が母にはいずれいらなくなるものであるというのもあってせつない。目的地にたどり着いていないところで話が終わるのがいい。外国人観光客がこないようなしけた宿、そこから泳いでいった砂州というのも、寄る辺なさの象徴のように感じる。母の未来を悲観する息子に、母が「わたしは死ぬわけじゃない。ただ目が見えなくなるだけ」というのが、人間の尊厳を伝えていて、強さが美しいと思える。

プリシラ」バンコックの貧民街に住む少年とカンボジアからやってきた難民少女プリシラとの交流を書いた物語。故国を離れるときまだ幼子だった娘の歯をすべて金歯にした歯科医師の父親の思いが切実。クメール・ルージュのことなんてこんなふうに書かれたものを未だかつて読んだことがない。痛くて切ない話だけれど、プリシラのキャラクターの明るさや力強さもあってどこかに軽やかな光を感じる、という方も。わたくしは、この作品のラストがあまりに痛くてつらくて、ブルーハーツの「〽弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」というのを思い出してしまいました。みんな社会的弱者なんです、弱さのレイヤーのなかでより弱いものを叩くしかない。でもそれをプリシラなら軽々と飛び越えてくれるかもしれない、そんな幻想も見せてくれるのが救いなのかな。

「こんなところで死にたくない」脳卒中で半身不随になった父親が、タイ人と結婚してタイで暮らしている息子夫婦のところで暮らし始める話です。この作品だけは、視点人物は老人で他の作品の少年視点というのと違ってます。父親が遭遇している様々な困難、料理が辛すぎるとか部屋が暑すぎるとか、どこかユーモラスで何度も笑ってしまった、という人も。毒舌のなかにもやさしさを感じたという方もいました。最後のバンパーカーをぶつけ合うシーンはカタルシスもありよくできているけれど、ちょっと既視感あるかな、という人も。アジア人妻に対するアメリカ人の老人やその他の人々の視線に、身につまされるものがあるとおっしゃる方もいました。その人は自分が妻の立場で読んでいましたが、自分が介護される立場になって読んでいる人もいて、やはり息子の奥さんから「あーんして」なんてやられたくないって言ってて、それにはわたくしも同感であります。これも読む人によっては切実すぎる現実でつらい、と感じた作品のようでしたが。推薦された方は、小説的造りがカーヴァーの「大聖堂」を思い出すと言ってました。「大聖堂」のほうは経験の豊富な作家の手による完璧さがあるけれど、こちらのほうには、書き手の若さゆえのベタなところがある、と。ひょっとするとそのベタなところが既視感だったりするのかも。ウェル・メイドってことですかね。

まめ閣下:にゃるほど。で、貴君はこの作家のとくにどういうところがいいって思ったんだ?

下僕:はい。それ、わたくしもいろいろ考えてみました。まず、文体が素晴らしい。でもひょっとしたらこれは、古屋美登里さんの翻訳が素晴らしいのかもしれません。とにかく自然で、最初からこの言語で書かれた小説のようでした。小説そのものの話をすると、この「観光」というタイトルの短編集で見る限り「ガイジン」というのが作家自身が抱えている根本的なテーマなのかなという気が。母や父、子や孫であっても、しょせんはstranger、つまり異人、見慣れぬ人、であるというのも書かれているし、自分自身がタイにルーツを持つアメリカ人として生きてきたということも、つねに自分のうちに「異なるもの」と向き合っていかざるを得ないという背景も関係しているのでしょう。そしてこの作品集の冒頭に「ガイジン」という作品が入っていることも、彼にとってこれがコアな作品であることを示しているのではないか。まさにデビュー作にすべてがある、って本当ですね。タイトルは「観光」だけど表紙は、この作品なんですよ。よく見ると豚が泳いでる。

まめ閣下:あ、ほんとだ。

下僕:これ、言われるまで豚って気づかなかった人がほとんどです。わたくしも含めて。あとね、これは非常に個人的な感想なんですけど、どうしてこんなに惹かれるのかなって考えたときに、わたくしの大好きな「カポーティみ」があるように思ったんです。つねに弱い存在の側におかれている、自分自身も弱いものであるし、周囲にいるより弱いものの側によりそっている。そういう視点を感じたんです。力がなくて、感じること以外になにもできなくて、せつなくて。そしてこの文章の巧みさよ。まだ若いし生きてるし、これからが楽しみな作家です、って言ったら、なんと行方不明だっていうじゃないですか!

まめ閣下:え?

下僕:2010年の時点なんですが、文庫のあとがきのところに、エージェントも連絡がつかないって書かれているって他の方が教えてくれて、衝撃を受けてしまって。天才だから早く死んじゃってるかもしれない。なんてことだ、と騒いでいたら、他の方が最近の動向を検索して探し出してくださいました。2018年にインタビュー受けていたようです。ちょっとホッとしました。

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まめ閣下:おお、よかったじゃないか。ん? この隣りの女性は誰かにゃ?

下僕:誰ですかね? インタビュアーにしては距離が密すぎますよね? 奥様かな。まあそんなことはどうでもいいじゃあありませんか。とにかく、この素晴らしい才能の持ち主がまだ生きているという幸福をかみしめ、この先にまた作品を読ませていただけることを強く強く希望いたします!