Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【講座】2021年12月25日「作家・町田康が語る『私の文学史』」第3回 於NHK文化センター青山

・エッセイって言うな! 随筆って言え!

・小説は歌謡曲、随筆はロック

・小説は「役」随筆は「素」

・本当におもろい文章を書くコツ、秘技とは。

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下僕:昨日の講座もおもしろかったなぁ。あぁー、なによりのクリスマスプレゼントだったなぁー。とくにラジオ放送9回目分の「エッセイの面白さ~随筆と小説のあいだ~」ってのがむちゃよかったぁ。でも話す相手がいなーい。

まめ閣下:・・・こほん。

下僕:ん? 今なにか聞こえたような。

まめ閣下:あー、こほん。

下僕:なんだろ、空耳かな。はぁー。

まめ閣下:って、白こいんじゃ、もう。

下僕:え、あら、閣下じゃございませんか。クリスマスでも出るんですね。

まめ閣下:出たんじゃなくて、貴君が呼んだんであろう、もう。それに猫にはクリスマスも正月も関係ないのじゃ。

下僕:え、閣下は猫じゃなくてイデアでしょ。

まめ閣下:ま、まあどっちでも同じだ。ところで無駄なことしゃべってないで昨日聞いてきた話ってのをさっさと聞かせたまえ。

下僕:そうざんすね、イデアの時間は限られてるし。じゃ、さっそく。昨日は連続講座の3回目、この表に記載されている予定表でいうと第7回から9回まで、きちーんと予定通りにお話されました。第7回放送分は影響を受けた(というのも本当なら一概に言えないものなのであるが)作家として井伏鱒二の「かけもち」という作品についてのお話で、第8回分は芸能の影響についてのお話でした。芸能についてはこれまでの講座でも何度か語られていましたよね。たとえば

2017年11月4日 町田康 講演会「読むことと書くことの関係」@中央大学多摩キャンパス - Rock'n'文学

なんかに昨日の講座で出てきた話題がいくつかありますね。昨日は、詩人町田町蔵を特集した現代詩手帳という雑誌に書かれたものを読み上げられたりして。実はこれ、前橋文学館で手に取って長時間読みふけりました。すごくいい特集なんですよ。欲しいなぁ。

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まめ閣下:井伏鱒二の作品は、町田さん大磯の読書会でもやっておったんじゃないか。

下僕:はいはい、こちらですね。作品は違いますけれども。
【講師のいる読書会】2019年11月30日 第6回町田康さんと本を読む@大磯 カフェ・マグネット - Rock'n'文学

まあそんなこんなで、その二つの回はちょっと割愛して、9回目の放送分のお話を。

まめ閣下:ま、貴君の場合語り始めたらきりがないからの。

下僕:はい、なにせ最近、閣下は突然消えてしまわれますからね。とくにお話したかったことをしゃべっておかないと。目次にはエッセイと書かれてますが、ご本人が「随筆」と呼べ!っとおっしゃったので以下随筆で。

町田さんが依頼されて文章を書くようになったきっかけは、小説ではなくて日記でした。しかし日記なんてものは他人が読んで面白いもんではなかろうと考え、なんにもない一日に自分が考えたことなどを書いた随筆のようなものになった。当時自分がゆくゆくは小説家になるなんてことは考えてもいなかったとおっしゃっていました。

日記ってのは政治家や有名人が最初から他の人に読まれる前提で書かれたものもありますが普通は誰にも読ませないつもりで書いている。ところが書き始めると不思議なもので、ちょっと自分を飾るというか、かっこつけたりしてしまう。人に読ませるつもりはないとか言いながら、つい誰かの目を意識してしまう。これが自意識というもので、文章を書くようになるとまず誰でも最初に突き当たる壁だと言います。プロの作家というのはこの自意識を完全に脱ぎ捨てた人のことだ、と。

小説と随筆の違いって何か、というのはよく聞かれることだと思いますが、これについてははっきりした結論というものはないけれど、途中はある。それはたとえば歌謡曲とロック。小説はプロが作った楽曲を歌手が歌う歌謡曲のようなもので、随筆は自分の魂の叫びであるところのロックである。歌謡曲は「役」であり、ロックは「素」。たとえていえば森進一の「おふくろさん」とジョン・レノン「Mother」(町田さん、このふたつをしっかり歌って演じてくださいました!)。小説は役を作りそれに演じさせるものであり、随筆はその人そのもの、事実を書くものである。しかし純文学といわれるもののなかには私小説なんてのがあり、これは役と素が一体化したようなものであるけれど、現実にはそれを人が読んで楽しめるものに作り上げる技術を要するからやはり「役」に寄っていると言える。

随筆っていうのは誰が書いても喜ばれるというものではなくて、有名人や特殊人であればどんなささやかな日常の話であってもみんな喜んで読む。特殊人っていうのは一芸や職能に秀でた人とかですね。しかし無名人や一般人が同じことを書いたところで誰も興味すら持たない。雑誌から日記(随筆)を依頼された当時の自分は無名であったがおそらく詩人という特殊人であったのだろう。でもたぶん普通に書いたら誰もおもしろくないだろう、というのは予想していた。じゃあどうしたらいいか。つきつめて考えて出した答えが「本当のことを書く」。自分がその日どこへ行って何をやったとかじゃなくてそのときの本当の気持ちや考えたことを書く。何もない日でも人間は必ず何か思っているし言葉でなく五感によっても何かを捉えている。人間というのはたいてい変なことを考えているものだから、それをそのまま書く。これがおもしろい文章を書くコツ、秘技である。

ただし「本当」というのが難しい。なぜなら文章に書こうとしたときに例の「自意識」というのが立ちはだかるからである。ええかっこしたり世間一般で言うところの「普通」という意識・呪縛にがんじがらめにされてしまって、本当のことなど書いてしまったら社会から批判拒絶糾弾されるのではという恐怖にかられてしまう。それを乗り越えて「本当」にたどりつく必要があるのである。そのためには

1.自意識を取り払う。

2.そうすると書くのが楽しくなる。

3.楽しくなってすいすい書いていくうちに、本当に考えていることにたどりつく。

4.それをきちんと書き続けることで技術が身につく。

5.そうこうしているうちにまた自意識が出てきて悩まされる。→1に戻る。

というようなことをとにかく延々と繰り返していくことしかない。文章という舟にのればやがては「本当」にたどり着く水路に入れるかも、運ばれていくことができるかも、と考える、ひょっとするとそれは呪術のようなものかもしれないって、最後の方はやや駆け足でおっしゃってて、わたくしのこんにゃく頭ではすっと理解するのが難しかったであります。

まめ閣下:まったく貴君は一番肝心なところを。しかしこんにゃく頭、ってのはもう自分でも認めたのか。ははは。

下僕:あ、それは閣下がいつもわたくしにそうおっしゃるからで。でもなんでこんにゃくなんです? スカスカであることを揶揄されるんであればスポンジとか多孔質とかそっちにいくんでは? こんにゃくなってすべすべでずっしり重いではありませんか。

まめ閣下:ははは、こんにゃくってのは表面がつるんとしておるだろ? 出汁だってなかなか染みこまないではないか。貴君のオツムの吸収力の低さを言っておる。

下僕:ぎゃ、ぎゃふん(死語)。でもでも、おもしろい随筆を書くためにはなにが必要か、ってところはおぼえてますよ。「他人がやってないことをやる」です。他にやっている人がいないことだから、他の人が読んでおもしろいのかわからないっていう疑問が湧きますよね。さらに他の人のやってることとは明らかに手触りが違ったり似てないわけですから不安にもなります。しかしこの疑問と不安がないところで面白い随筆は書けない。他の人が「はぁ?!」ってなるような、理解不能なもんに「ばまりこんで(嵌まりこんで)!」書きなさいってようなことおっしゃってましたね。

まあとにかく、自意識を捨てて書け。書き続けろ。文章によってしか「本当」にはたどり着くことはできない。ってぇことでございますかね。これがまあ簡単にはいかないんですけどねぇ・・・(ため息)

って、あれ? 閣下? かっかぁー!!! カムバーック(魂の叫び)!