Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【読書会】2022年3月12日「ここはとても速い川」井戸川射子

*おそろしく完成度の高い作品

*選び抜かれたモチーフ

*研ぎ澄まされた言葉

*細部のリアルさ

*「川」が象徴するもの

*子どもの社会的脆弱性と生きづらさのなかにも喜びを見いだす力

*わたくしもまた、抗いがたい速い川に立たされているのではないか?

 

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下僕:あぁ、どーしたらいいのかなぁ。困っちゃったなぁ。

まめ閣下:こほん。

下僕:あー、こんなとき、閣下がいらっしゃったなら。迷える下僕を正しく導きたもうことでしょうのに。

まめ閣下:えー、こほん。こほん、こほん。こほん。

下僕:変ですね。なんだかさっきから妙な咳払いのようなものが聞こえるような気が。耳鳴りでしょうか。こだまでしょうか。

まめ閣下:げぇえええほっ、げほっ、げほっ、うぉっほん!

下僕:何やってんですか、汚いなぁ。もう、咳が出るならマスクしてくださいよ。

まめ閣下:ば、ばかもの! 貴君がわざとらしく余に助けを請うているから、しょうがなく現れてやったのではないか。それをなんだ、すぐに気づかないふりなどしおって。

下僕:あはは、ばれてました?

まめ閣下:もうそういう小芝居はいらんから。はよ本題に入らんかい。

下僕:はぁ、それがですね。わたくしどうも最近頭がぼーっとしてしまって。

まめ閣下:貴君のそれは今に始まったことではないと思うが。

下僕:それが以前に輪を掛けてひどいんでございますよ。つい最近も感動して聴いたはずの講演なのにメモを読み返しても内容がもやがかかったように思い出せなくなって。

まめ閣下:そりゃもう年だからじゃないのか。

下僕:いや、わたくしはこれは花粉症ではないかと思うんでございますよ。花粉のせいで頭がぼーっとして思考能力が著しく低下してしまっているのでは。

まめ閣下:貴君は花粉症はないではないか。旧型の人間であるからにゃ。

下僕:でも年齢を重ねてコップの水があふれるように突然花粉症が出るって人もいるようですよ。わたくしもそれじゃないのかなぁ。でないと、こんなにあまりに突然に頭がぼんやりするようになるのはおかしいでしょう。

まめ閣下:あのにゃ、貴君の頭が愚であるのはもうずっと前から余が指摘しておることであろう。今に始まったことではないのだ。こんにゃくを煮すぎると固くなるとかはんぺんを煮すぎるとでろでろになるとかと同じくらい明白なことである。もうそういうことはいいから、今日はいったい何を思い出せなくて困っておるのだ。

下僕:思い出せないってわけじゃないんですよ。ただどうも頭の中に紗がかかったみたいにぼんやりとしか考えがまとまらないんでございますよ。

まめ閣下:ふむ。それはな、話さないからじゃないか。誰かに話してまとめておかんと考えたこと聴いたこと読んだことはすーぐ忘れる、それは貴君の一番の特徴ではないか。

下僕:そうなんですよぅ、だから閣下をお呼びしてたんじゃないですか。昨日の読書会でみなさんから出た感想を忘れないうちにまとめておきたいんですよぅ。

まめ閣下:わかった、わかった。こうして目の前にいて聴いておるから、話したまへ。

下僕:はぁ、よかった。ではさっそく。昨日の課題は井戸川射子さんの「ここはとても速い川」でした。

まめ閣下:お、知っておるぞ。野間文芸新人賞受賞作品だ。選考委員全員一致で選ばれて、そのなかの一人、保坂和志先生が泣いたってことで話題になってたにゃ。

下僕:あれ、よくご存じじゃないですか。

まめ閣下:余はなんでもよく知っておる。それに保坂先生は猫界においても非常に高く評価されておるからな。猫を愛する徳の高いお方である。

下僕:それほんとですか? 猫好きな作家は大勢いらっしゃいますけれど。

まめ閣下:〽ねーこを愛するひーとーはー。徳のたかきひーとー。

下僕:はいはいはい。さぁ、昨日の読書会ですが、参加者はわたくしを含め全7名。みなさんこの作品を高く評価されていました。実は半数以上の方が、最初のうちはなかなか読みにくかった、入っていくのが大変だったとおっしゃっていたのでありますが。

まめ閣下:ほう、それはどうしてだい?

下僕:大阪弁、饒舌な独白体で書かれていること、語り手が小学5年生であることとか。あまり説明されないまま起こったことをいきなりイメージのぶつぎりで語られているところ、誰が誰に語っているものなのか最初は理解が難しい、とか、それぞれに苦手な点があるようでした。わたくしはそういうのはまったく気にならなかったんですけどね。

まめ閣下:大阪弁で子どもの語りの作品といえばこの前の大磯読書会の課題を思い出すな。

下僕:はい。三国美千子さんの「いかれころ」でございますね。でもあちらは4歳の女の子の視点でとらえた世界を大人になってから語っているという設定でしたよね。今回の作品の語り手は小学5年生で、ずっとその少年の視点です。「いかれころ」は血族のどろどろしためちゃくちゃ濃密な関係性を書いていて、今回の作品に描かれる淡く流れ去っていく薄い関係性とはある意味対局にあるともいえますね。まあとにかく、入りにくいと感じる要素多めではあったんですが、でも読み進むうちにそういうことはどこかに飛んでしまうくらいよかった、とみなさんおっしゃっていました。課題にならなかったら途中で投げ出してしまっていたかもしれないけれど、読んで本当によかった、とおっしゃる方も。

まめ閣下:ふうん、そりゃまたどういうわけで。

下僕:上にいくつか挙げてみました。まず作品としての完成度が高いとおっしゃる方が多かったです。モチーフの選び方、日常のできごとのリアルさなど、ほんとうによく構築されていると感じたようです。言葉の研ぎ澄まされ方は、井戸川さんが詩人であることを考えたら当然というか。わたくしなんかは詩人が書いた作品というので最初「文章が難解なんじゃないか」とちょっと身構えてしまったんですが、ちゃんと小説の言葉で書かれていると感じました。ラストで一気に言葉のパワーが炸裂するんですけどね。それがすごくよかった。

まめ閣下:語り手が施設で暮らす少年ということについてはみんなどう言ってた?

下僕:はい、小学5年生の男の子の独白で最後まで書かれているんですが、それを大人の書き手がやりきるのってすごく難しいはず。でもちゃんと、大人が描く「少年」ではなく、集というひとりの人間の視点で描かれてる。施設というある種特殊な環境での生活を淡々としたタッチで、でも少年だからこそのこまやかな視線で切り取って、生き生きと描いている。生きづらさがあって当然の境遇、でもそのなかにも小さな喜びをみつけて生きている姿もいい。その生きづらさも、ステレオタイプなものではなくて、微妙なところをすくい取ってことごとくステレオタイプをひっくり返して描かれている。普通だったらぜったいそれ危険だろうと思う見知らぬ大学生モツモツとの交流に心をゆるく支えて貰ったりとか。繊細な心の動きの描き方がそのままでとてもせつなく胸をうつ。ひじりという集が弟のようにかわいがっている子が先生からちょっとしたハラスメントを受けていて、それがどういう意味なのか子どもには最初よくわからない。わからないけどなんだか嫌だ、というのがぼんやりと描かれているのもいいと言う方もいました。ハラスメントについては、おおきなドラマっぽいものはおこらない話の中の背骨みたいになっていて、最後、園長先生に訴える場面では集の心の成長を感じさせるし、そこからの言葉の暴発にわたくしは打たれたわけですけど。

まめ閣下:モチーフの選び方ってのは?

下僕:アガパンサスの花で季節の移り変わりをしめしていることとか、実習の先生たちとの交流とか、地域の夏祭りとか。あとなんといってもタイトルにもなっている「川」ですね。川によって非常に多くのことが示されている。たえずうつろい流れていく周囲の人間関係とか。施設で暮らすこどもの寄る辺なさとか。話全体に「川」の雰囲気が流れていて、具体的な川も和歌山での宿泊訓練で溺れそうになって助けられる川と、施設の近くにある淀川の二つが登場するんですが、それもなにか対照的で。和歌山の川はきれいで流れが速くて危険だけれど助けてもらえる川、淀川は近くにあって淀んでいてたぶん誰にも助けてもらえない川。最後、ひじりがお父さんと暮らすようになってひとりになった集が、淀川に棲む亀に餌を投げてやるシーンがね、いいんですよ。自分を重ねてるんだなってわかる。孤独な自分を少しだけ遠いところで見てる、って感じ。心の成長ともとれる。だからせつないけれど読後感がいいとおっしゃってる方もいましたね。ひじりのこと本当に大切にして弟のようにかわいがっていたのに、その別れの場面は描かれない。さらっと、ひじりがいなくなってからの日々が描かれる。そこがまた、集の心情を想像してしまってせつないんですよね。描かないことでより強く響いてくる、という感じ。「最高のパーカッショニストは一番大事な音を叩かない、と村上春樹さんが書いていた」とおっしゃる方がいて、まさにそれー! と盛り上がりましたよ。その方が、「わたくしもまた、抗いがたいとても速い川に立たされているのではないか?、と感じた」とおっしゃったんです。またしても名言! ということで、昨日の名言大臣に認定されました。

まめ閣下:なんじゃ、そりゃ。まあ、優れた作品をみなで楽しめたのだからよかったではないか。

下僕:はい。わたくしはどうもいろいろ分析的に読んだりするのが苦手でして、ただただ話の中に入り込んでしまって「うん、よかった。おもしろかった。せつなかった」みたいな子どもみたいな感想で終わりがちなんですけど、他の方の感想や意見を聴かせていただくと本当にいろんな発見があるんですよね。理解が深まるところもあるし。

まめ閣下:にゃるほどにゃ。はい、みなさん、読書会ってほんとうに素晴らしいですね。それでは、みなさん、次回まで、さよなら、さよなら、さよなら。

下僕:って、淀川長治かーい! あれ? 閣下? 閣下ー! いきなり消えないでくださいよぉー。