Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【読書】「しらふで生きる」と「スピンクの笑顔」町田康 

まめ閣下:どうしたんだ、さっきからため息ばかりついて。

下僕:ああ、生きるって寂しいことでございますねぇ、閣下。

まめ閣下:な、なにを柄にもないことを言っておる。どこか具合でも悪いのか?

下僕:具合・・・そうですねぇ、強いて言うなら、こう胸の中に寒風が吹きすさぶようなひえびえとした感じがいたしてしかたありません。

まめ閣下:それは風邪だ。あったかくして早く寝るにゃ。

下僕:もう、違いますよ。この本を読んだらねぇ、なんだか生きていくことがむなしいような気分になってしまって。なんとも「恐ろしい本」でございました。

 

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まめ閣下:なんだ、諸君がずっと発売を楽しみにしていた町田さんの新刊ではないか。康さん病はどうした? さては病が嵩じて食(読)あたりでもしたか。

下僕:そうじゃありませんよ。この本に書かれていることをしみじみ噛みしめていたら、そういう気分になってしまったんです。

まめ閣下:どうした? 真似して酒を控えて鬱にでも陥ったか?

下僕:いや、そういう話ではなくて。うーん、しかたない、ちょっと長い話になりますがちゃんと順序だててお話しいたしましょう。

まめ閣下:愚で下手な長話は御免被る。

下僕:あー、じゃあかいつまみまして。町田さんがお酒をやめてるらしいとわたくしが知ったのは、もう2年近く前になりますかね、汝、我が民に非ズの実演に通い始めたころでした。MCのなかで町田さんが、「酒をやめると人間どうなるか、という話を雑誌に連載してる」とおっしゃって、でもそれはそういう状況を空想しながら創作するような作品かと思ったら「今はもう酒を飲んでいない」みたいなことを言ったので耳を疑いました。まさかご自分が酒を断ってその体験から書いてるなんて、どうしたって信じられないじゃないですか。いや、聞き違いだろう、ぐらいに思ってたんですよね。雑誌の連載読んでなかったし。でも、ちょうどその少し後に「スピンクの笑顔」って作品を読んだんです。町田さんちの犬のスピンクが語り手になって日常を綴っているシリーズの4作目。スピンクシリーズは最高に面白くて、町田さんは常々、歌にしろ小説にしろ自分は自己言及的なものはやってこなかったって言ったり書いたりしてましたけど、このスピンクシリーズこそは、スピンクの目から見た町田さんというものが書かれているわけで、それを書いているのは町田さん自身というわけだから、必然的にかつてない自己言及的な作品になっていると感じていました。普段は書かないような私生活の部分もあからさまになってる、というか。シリーズ最初の「スピンク日記」から「スピンク合財帖」「スピンクの壺」と続いていく中で、子犬だったスピンクが成長しやがて老いていく。作者もまたスピンクと兄弟のようにふざけたりお酒を飲んでバカやって笑われたりあきれられたりして天真爛漫に日々を送っている様子が本当に楽しくておもしろくて夢中になって読みふけっていたわけです。しかし犬の時間の流れは人の時間よりはるかに早く、子犬だったスピンクはいつしか作者を追い越し、最終巻の「スピンクの笑顔」では老犬になったスピンクがこの世を去って終わるんです。だからどうしてもこの巻は読んでいてだんだんつらくなる。スピンクの老いと同時進行的に、あれほど悪ガキみたいに無邪気に生きていた作者自身の生活にも濃い憂いが出現してくる。ある日、来訪した友人に「酒をやめようと考えてる」って告白するんです。体調が悪くて仕事の生産性も落ちてる、と。本の設定では犬のシードがポチの思考を操ってのこととなってますが。しかしそういう話をしながらも明日から酒を断つ前に思い残さず飲もうということになり外に飲みに出かけてしまいます。そうして酷く酒を飲んだあげくに信じられない失態をしたことがきっかけで、つらい生活を余儀なくされるわけです。酒をやめるか、狂人として生きるかを迫られる、というか。このくだりは読んでいて本当につらかった。まあいかに自己言及的作品とは言え、エッセイや私小説であろうとも作家の書いている事柄が常に事実そのものでない、程度の差はあれ創作であるというのは物を書く人ならずともわかっていることでありますから「ウェディングドレス」とか「白無垢」のエピソードが現実にあったのかどうかは不明ですけれど、「信仰か狂気か。」という話で、とうとう断酒後の日々が語られています。そこから次の「いまなぜ月見うどんなのか/ポチの悟り」という話のなかでポチが語る心境、読んだときにはあまりよく理解できなかったんですけれど、この最新刊「しらふで生きる」という本に書かれていることの根幹でありました。その苦難を経てポチが行きつく心境というのがその後に書かれていて、虚無のような底の見えない寂寞というか、ある意味老いの兆しとも読めるんです。それがすごく寂しくてつらかった。もうあの酒飲んでやんちゃしていた子どものような町田さんはいなくなってしまったのか、と。でも町田さん、その憂鬱や無力感はきっと男の更年期というものだよ、恋をしなさいよ、いやさ恋でなくても何かアドレナリンがばんばんでるもの、夢中になれるものを見つけてくださいよ! と老婆心ながらやきもきしたものです。でも今にして思うとそのアドレナリン放出を希求する本能が向かった先が「汝、我が民に非ズ」だったのかもしれないと思うと、ありがたいことでございました。

まめ閣下:あー、そろそろあの、「しらふで生きる」の話に戻ってはどうかにゃ? かいもかにもつまんでおらないぞ。

下僕:あぁ、ですからね、「しらふで生きる」は、そのような変遷をたどってたどりついた断酒について、作家が分析的に書いたものだと思いました。なぜ、いかにして、断酒に至ったのか、というのは「スピンクの笑顔」を読んでからだとわかりやすいかなと思いますね。

まめ閣下:で、さきほどから諸君が「寂しい」「むなしい」と言っているのは、「スピンクの笑顔」のなかでポチが語っていたのと同じような気持ってわけかい?

下僕:いえ、そうじゃないんです。この本は断酒を始めてから1年くらいから4年目の最近にいたるまでの連載でその間に体験的に理解したことや考えたことをまとめて書かれていて、やや観念的と感じる人もいるかもしれない。また酒をやめるためのハウツー本、と考える人もいるかもしれないですけれど、これ読んで自力でお酒やめられる人はそうそういないと思います。

まめ閣下:はは、とくに諸君のような大酒のみには無理というものだろう。

下僕:わたくしだって最近はずいぶん酒量を減らしておりますがね。それはいいとして、わたくしはこの本を酒をいかに人生から排除するかというよりも人生をどうとらえるか、という本だと思いました。人生哲学というべきか。

まめ閣下:というと?

下僕:「私たちに幸福になる権利はない」「私は『普通の人間だ』と認識しよう」「『普通、人生は楽しくない』と何度も言おう」「酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい」という目次がすべてを語っている気がします。自分は本来自分が得るべき幸福を奪われている、それを取り戻さなければ、と考えることが間違っているとまず認識する。これってお酒以外の生活にもすごく役に立つな、と思ったんです。たとえば、介護なんかしている人。わたくしの老母は今施設に入っているですが、かなり認知症が進んでしまって最近では会いに行っても会話もできず笑顔も見られないことがほとんどになってきたので、施設に出かけて行くときはいつも「大負けするのが見えている試合」に出かけて行くような気持になっていたんですよね。それを、その状態が普通だと思えば、ごくまれに発せられるひと言や笑顔が、天から賦された幸福みたいに思える。そう考えると納得のいく思想だと思いました。でも・・・

まめ閣下:でも?

下僕:そうやってひとつひとつの自己認識を変革していくとね、なんだかすごく寂しくなるんですよ。生きていくのが空しく感じる。それは町田さんもこの本のなかでちらりと書いてました。で、きっとバンドや講座やいろんなイベントにめまぐるしく出演したりしてその虚無は乗り越えているのかなぁと感じました。それがないと生きていくこと自体が面倒くさくなってしまいそう。

まめ閣下:ふぅん。それで諸君は酒をよすのかね?

下僕:まぁよさないでしょうねぇ。これまでさんざん経験してきた酒による失敗や恥の数々で、過度の飲酒に喜びなどないというのは重々わかってるのですがね。酒自体への欲求というよりも食い意地が。町田さんも書いてましたが、酒なしでご馳走はいらない。逆にいうなら、美味しいもの食べるならお酒が必要。そういう幸福の追求がさらなる負債を招くと書かれてはいますがね。生きるために食べることは必要で、どうせ食べるなら美味しいもののほうがいい。

まめ閣下:人間ってのはどうしてあんなものがそんなに好きなのかね? 予は生まれてこのかた18年間、ただの一度も酒飲んだことはにゃいぞ。

下僕:そりゃ閣下は猫ですからね。しかしそれでも18年間も飲まないなんてすごいことですよ。わたくしなんざ18のときにはもうすでに立派な酒のみになっておりましたからね。

まめ閣下:それでそのように脳髄が酒浸しでずぶずぶになってどうにも残念なことになってしまったというわけか。

下僕:ぐ、ぐぅ・・・。

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