Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【講座】2023年6月3日 保坂和志の小説的思考塾Vo.11 於:巣鴨 Ryozan Park

池松舞さん(『野球短歌』)が小説の実作について抱いている質問に保坂さんが答える形で、主に話されたことは:

・『文体』とは

・小説はいかに書くべきか

 

下僕:らんららー、らんらんらー、らんらんらんらりらー

まめ閣下:ずいぶんご機嫌ではないか、下僕よ。

下僕:あ、閣下~、誇り高き文学にゃん!

まめ閣下:にゃんだ、まだ酔っ払っておるのか。昨夜もたいそう遅く帰ってきたようであったが。

下僕:えっ、酔っちゃあいませんよ。まあ、余韻に酔っているといえばそうかもしれませんけどね。昨夜はほんとになんだか刺激的な夜だったんですよー。ほら、閣下もよくご存じの保坂和志さんのね講座に、パンデミック以降初めてリアルで参加してきたんでござんす。

まめ閣下:お、保坂さんと言えば猫を愛する徳の高き人ではにゃいか。それは猫愛にあふれた尊いお話が聴けたに違いない。

下僕:猫の話もまあちらっとは出ましたがね、昨夜はほら先日『野球短歌』を上梓された池松舞さんがゲストで登場して、池松さんが小説を実作するにあたってかねてから抱いている疑問に保坂さんが答えるという形式で開催されましたんですよ。

まめ閣下:しかしあれだろ、貴君は小説的思考塾は何度も参加しておるがこのブログになにやら書いたのは1回きりではなかったか。保坂さんの話はなんだかまとめるのが難しいとか言って、ふにゃふにゃとごまかしていたような。

下僕:はぁ、最初に参加したときの話ですね。あの後も行けるときは行ってましたし、コロナ禍以降は配信になりましたからリアルタイムで聴けなくてもアーカイブがあるので毎回書かさずお話は聴いていたんですよ。ちゃんとメモもとって。

まめ閣下:だけど余には話をしなかった、と?

下僕:はぁ、なんというか、難しいんですよ。

まめ閣下:そりゃ貴君のこんにゃく頭では理解が及ばないのがあることはいたしかたないが、今に始まったことではあるまい。

下僕:読書会とか他の講座みたいに内容を簡潔にまとめる、みたいなことができないんですよ、保坂さんのお話って。最初話し出したことがいつのまにか別の話に移っていってどんどん別の話に展開していく、みたいな。

まめ閣下:それはまさに保坂さんの書くスタイルではないか。

下僕:そう、そう、そうなんですよ! で、昨日のメインのテーマは『文体』の話だっていうのでね、わたしもそこはとても興味がありましたんで前のめりになって聴いてきたわけです。

まめ閣下:お、で?

下僕:はあ、やはりというか当然というか、「文体とはかくかくしかじかである」みたいな定義はまったくなくて、ご本人も「抽象的な話にしかならない」っておっしゃっていて。でもね、昨夜のお話を聴いていて、とうとうわたくし、あ、なるほど! と思ったんですよ。だからそれを忘れないうちに閣下にお話しようと思っていたところだったんです。

まめ閣下:愚は愚なりに発見を。

下僕:はい。一番の気づきは、保坂さんのこの、なんとも要点をまとめにくい語りこそが小説の文章なんだってことです。小説は、言葉にするのがむずかしい、言葉と折り合いがつかないことをつきつめる、その大変さを知る人が苦しんでひねりだしてくるものであって、すらすら簡単に書けるようなものではない、たちどまって苦しみ悩んでいる過程をこそ書くものである、というようなことをおっしゃって。そうやって自分を追い詰めてやっと産み出された文章は誰もが簡単に理解できるようなものではないし、小説の言葉には共通理解はないのだ、だから抽象的にしか説明はできないんだと。もちろんこれは芸術としての小説の話であって、エンタメには文体はありません、っともおっしゃってました。

まめ閣下:保坂さんの言うところの「文体」はないって話だにゃ。

下僕:まあそういうことです。「小説を書く人は意識して客観性の外に出るべき」との言葉に最近の自分の書くもののダメなところを言い当てられた気がしました。小説というのは報告書ではない、なんでもかんでも読者に明確にわかるように説明しなくていい。わからないもの、いく通りにも考えられるもの、そういうものを読みたいのだから、と。自分は無意識に、読む人にできるだけきちんと理解して欲しくて説明しすぎのとこがあったと思うんです。よく「もっと読者を信用して」と言われたりしてるんです。あと、自分はつねに物事に対してフェアでいたいみたいな気持ちがあって、小説にしてもできるだけ客観的な視点で全体を俯瞰して書かねばみたいな思い込みもあったんですよね。でもそれが、本当の意味で面白い小説から遠ざけることになっていたのかと、ショックを受けました。そうそう、文章には勝手に動く特性があって、一行目を書くことでその次の行が変わっていくものであって、一行目を書いたときに思い描いていたところにはたいてい到着しないとおっしゃっていて、まさに保坂さんの語りもそれだから、なかなか文脈を簡単にまとめられないんだって気づいたんですよ。

まめ閣下:ご長寿早押しクイズの間違った答えの連鎖みたいに、って言ってたな。

下僕:あれ、閣下聴いてらしたんですか。

まめ閣下:まあ、ネコ二オンとして貴君の肩のあたりにときどき憑いておったんにゃ。

下僕:ほんとうですか。じゃあ別に話しなくてもいいじゃないですか。

まめ閣下:だから何度も言っているように、貴君の非常に残念な記憶力のことを心配してだにゃ・・・

下僕:はいはい。もうひとつ、文体とは少し離れるんですが、いかに書くかという話はいつもながら非常に勇気づけられるものでした。自分はどうして小説を書くのか。そこにきちんと向き合わないとダメだなと思いましたね。誰か(ジャッジする人)に認めて貰いたいから書き始めたわけじゃないよね、作家になって誰かを見返してやると決意して書いてるわけじゃないよね、職業として一生書き続けていく人もいるけれど、小説というもの(小説を書くこと)を生涯肌身離さずに持ち歩いて生きていく人もいるよね、と言われてみると、わたしはそりゃもちろん職業作家をめざしてやってきたわけだけれど、こんなに長くやってて芽が出ないんならもう無理なのかなという切羽詰まった気持ちがひしひしとあるわけです。じゃあきっぱりあきらめられるか、というと何度もそう思うことはあったけど、もう書くというのは子どものころからの習癖というか習慣というか、基本的な欲求のひとつみたいなものでやめたら命に関わるみたいなところがあるんですよね。だから、職業作家にはなれなくてもきっと一生書いていくんだよねって受け入れるしかないっていうか、もうこれは諦めみたいなそんな感じで。そうであれば、べつに自分が一番のびのびとやれて、本当に書きたい気持ちがあふれてきたことを書けばいいんだということなんです。保坂さんは、今はなにかと文芸誌だとか賞だとかそういうものを重んじるような権威主義が強くなっていて、だからついつい公募の賞のために書くことを探す、〆切に間に合わせるために書く、みたいになっちゃってるけど本当はそういうものじゃないよねっておっしゃって、いやほんとうにわたしもそうだと思っているんですが、現状は、イヤもうホント、モウシワケアリマセン・・・って感じで。でも書きたいことが噴き出してきて書いたものがたまたまちょうど出せるところがあって出したっていうのが賞をいただいた経験はあるので、そういうものなのかなと納得もしたりしまして。

まめ閣下:うん、そうかもしぬ。

下僕:あと散漫になってしまうんですけど、心に響いたことをあげておきます。昨今は小説作法とか書き方マニュアルみたいな本が本当にたくさん出ててもてはやされているけれど、本当にプロになるような人はそんなものを読まなくたって最初から自然にできてるようなことしか書いてない。とにかく「こうすればプロになれる」なんて方法はないって話とか。文芸誌の新人賞の傾向と対策なんてやってるんじゃなくて、自分のなかに揺らがないものを確立することが大事とか。芸術は工芸品ではない。工芸品は技術的に完成されたものを目指すけれど、芸術は違って欠点がまた魅力となりうるとか。あ、あと、ストーリーテリングっていうのは一種の病気みたいなもので、どんどん湧いてきちゃって自分で止められない人がいるから、それはもうそういう人に任せたらいいんだって話には笑ってしまいました。ほんと、そういう人いますよね。かなわないって思います。

まめ閣下:あー、きっとその場でちゃんと聴いていた人にはもっと深い内容のあることが言えるんじゃないかと思うぞ。しかしまあ、またここに書く気になっただけでも進歩である。本当にあっちこっち話は飛んでいきまくっておるが、まとまらない話こそが文学である。ってことでいいのかにゃ。

下僕:とりあえず、いまはそのへんでご勘弁を。

まめ閣下:よしよし。〽ねーこを愛するひーとーはー徳の高きひーとー