Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

2019年8月24日 保坂和志 小説的思考塾Vol.5 @巣鴨 Ryozan Park

まめ閣下:昨日はずいぶん大慌てで出かけて夜半まで戻らなかったな、下僕よ。

下僕:あい、昨日は閣下との会話をブログにあげていて時間がどこかに行ってしまっておりました。ふと気づいたら家を出ないといけないリミットの1時間前で、急いで昼ご飯食べてシャワー浴びてばたばたと出かけたんでございますよ。なんとか開場ちょうどにたどり着いてよかった。

まめ閣下:そんなに慌てて、いったいどこへ行っておったのかにゃ?

下僕:はい、保坂和志さんの「小説的思考塾」ってのに行ってまいりました。定期的に開催されていてずっと参加したかったんですけど、なかなか日程が合わなくて、五回目の今回ようやく参加がかなったというわけで、前から楽しみにしておりました。イベント自体が大手カルチャーセンターなんかで企画してる講座とは違って、有志の方が手弁当で運営してるんじゃないかって感じの温かさがあり、まっことええ感じでしたよ。

まめ閣下:トークイベントって案内にはあるけど、どんな話だったのかにゃ?

下僕:昨日のテーマはメインが「死の問題」、死をどうとらえるかというような話、あとサブテーマとして「書きあぐねている人へのアドバイス」っていう部分があって、こちらは毎回やっているらしいです。お話の内容は、このメモをご覧ください。保坂さんご自身が作成されたのを配布してくださったんですよ。一番上に「世界観・人間観・死生観」ってありますね。

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まめ閣下:このような詳細なメモを配布してくれるなんてなかなか珍しいんではにゃいか?
下僕:そうですよね。レジュメ的なものがある場合はたまにありますが、これはご本人の思索を思いつくまま書き留めたという感じのもので、要は保坂さんがこの思想塾で何を話そうかって考えてその思考の過程を可視化したものという印象を受けました。必ずしもトークはこのメモの順番に進むというわけではなくて、ここにかかれているものを、その場で保坂さんが思いつくままひとつについて話して話しながらそれに連れて行かれる感じで別のトピックに移る、みたいな、保坂さんの頭の中で忙しく繰り広げられている思考をライブで聞かせてもらうという、言ってみれば著作の文章(例「カンバセーションピース」)そのものの感ある講座でありました。

まめ閣下:ふぅん。聞いてみないとあんまりイメージがつかめんな。
下僕:そうですかねぇ。たしかに聞いてるほうも、いつものようにメモを取りながらだったんですが、このメモが断片的な言葉の寄せ集めみたいになっていて、それだけだと自分でもうまく要旨をまとめるのが難しいんですよね。初めてだったんで、まだ保坂さんの話し方に慣れていないせいもあるんだと思うんですけどね。まさしく言葉の欠片の集合体、カンバセーションピーシズ。昨日のトークのなかでも、「小説的思考とはどういうものか、つまりここでやっているようなこと」というようなことをたぶんおっしゃっていて、それをわたくしは、「あちこち拡散していく、拡がって横道に逸れ、あるいは突然まったく違う場所に飛び、そこでさらに思索が深められ、ということの無限の繋がり」ではないか、と感じました。

死をどうとらえるか、という話では、哲学者とか宗教家とかいろいろな考え方にふれていましたが、「死が完全な無であるなら別に恐れることはない」という考え方にわたくしは近いかな。「自分がいなくても、風景が、宇宙が、それについて考えてくれるから別にいいや」っていう考え方、いいなって思いました。あとメモの、芸術的思考について語っている部分、言葉による理解は一部でしかない、抽象的理解は通常の思考では埒があかないっていうのも、そうだなって思いましたね。たとえば山の稜線を眺めていて突然理解できることがある。理解は瞬間的なもので、いつもそこにあるとは限らないもの。わかる人もあればわからない人もあるしわかるときもあればわからないときもある。それは理屈ではたどり着けないもの、という話もよかった。

まめ閣下:なかなか難しいにゃ。

下僕:うーむ、聴いているときはするすると流れに乗って心地よく運ばれていくことができたんですがね、こうしてあらためて説明しようとすると難しいですな。まさに保坂さんの作品の文章みたいです。あ、でも小説作法の話のほうは、こちらは現実に即した内容だったし、わりと理解しやすかったですよ。個人的にも、いくつもの学びがありました。

まめ閣下:ふむ。たとえば?

下僕:まず「技術よりいびつ」、整ったものよりいびつなもののほうが大事で、書きにくいことを書けばいびつになるっていうのとか。これは新人賞をめざすならとくに大事だと思いますね。それとも関係すると思うんですけど、「論理的な矛盾はあまり気にしない」っていうのははっとさせられました。その矛盾は思考のへそかもしれないから、あえて無理に解こうとしないほうがいい。そこにこそ考えるべきことがあるから、放置してずっと考える、みたいな。ただし一貫性のないことは人間はやっちゃいけない、ともおっしゃってましたね。昨日まで軍国主義だった先生が一夜明けて急に民主主義素晴らしいと教える、みたいな。小説においても、その人物の行動に一貫性があるか考えて書く、と。

書くにあたっての具体的なアドバイスはいくつもあったんですが、わたくし的に新しかったのは、「どうしても書けない日はあえて書かないで考えることにする」というのと、「筆写」ですね。好きな文章とか作家の作品を手で書き写す。これが意外と効果があるらしいです。どうしても書けない日はわたくしも筆写をやってみようと思いました。あとですね、すごく斬新だったのは、作品を書きなおすときは普通だとワープロソフトのデータ上でこちゃこちゃ動かして直したりするんですがそういうのをやめて、まずものすごっく細かい字の設定にして印刷してつなぎ合わせて1枚の紙にしてみて(100枚くらいの作品だと可能らしい)作品を視覚的にとらえてみる。そうすることによって各要素がどこにどのくらいあるかとかわかる。そうやって捉えなおして、一から書き直す。すると視点が自ずと変わってくる、アプローチも変わってくるっていうの、目から鱗でした。ちょうどこれから書き直そうと思っていた100枚くらいの作品あるんで、さっそくやってみようかと。なので、今日はもう閣下のお相手もこのへんにして、作業に移りたいと思いますよ。

まめ閣下:ふむ、なかなかいい心がけじゃないか。

下僕:あ。そうだ、もうひとつだけ。このイベント、講座のあとに希望者は「懇親会」っていうのが用意されてるんですよ。これもびっくりですね。飲み物(アルコールもあり)やおつまみも用意されていて、つまりは軽く一杯やりながら保坂さんとも他の参加者たちとも自由に懇談しましょうって会でした。保坂さんは非常に気さくなサービス精神のある方のようで、自分からいろんな人とおしゃべりを楽しんでいるふうでした。わたくしも、会の常連のような方が親切に勧めてくださったので、保坂さんとちょっとだけお話させていただきました。

まめ閣下:ふぅん、何を話してきたんじゃ?

下僕:閣下のことちょっと相談したんですよ。うちにも18歳の猫がいて、これが夜中に大絶叫ライブを繰り広げているんだけれど、って。大声出すのはなんでですかね、気持ちいいからでしょうか、ってわたくしが訊いたら、「いや、それはきっと目や耳が次第に不自由になってきて、なんらかの不安を抱えているんじゃないですかね」って言われましたよ。

まめ閣下:おお、なんと深い慈しみを感じる言葉ではないか!さすがである。がさつで単純なオツムしか持たないわが下僕とは違って、猫の繊細な感情を理解してくれておるな。

下僕:えーっ、でも大声出すのが気持ちいいからだ、ってこの前閣下自身がおっしゃっていたんじゃありませんか。

まめ閣下:すぐに言葉の表面だけ真に受ける、だから諸君は愚じゃというのだ。