Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【講師のいる読書会】「むらさきのスカートの女」今村夏子

まめ閣下:昨夜はまた大勢が集っておったようだにゃ。

下僕:はい、例のN氏を講師にお迎えしての小説塾の日でございましたからね。閣下だって塾生の一人としてご参加くださったではありませんか。

まめ閣下:何を申すか。予は誰の教えも請わない。単にオブザァバァとして諸君の学びに立ち会っていただけである。諸君がいかに真摯に小説と向き合っておるのか、厳しい目をきらりんと光らせておったのだ。

下僕:はぁ、なんとでも物は言いようでございますな。大半は塾生のSさんに撫でまわされてデレデレとやにさがっていらっしゃっただけに見えましたけど。

まめ閣下:Sか。あれはいいおなごであるにゃ。

下僕:プロの作家に向かって「あれ」って。なんですか、自分の女みたいに。

まめ閣下:予は猫であるから、職業とか肩書とかいうものとは関係なく生きておる。だから、ただひとりのおとことひとりのおなごとしてここに在ったのだ。

下僕:閣下は、おとこ・・・でしたっけ? 生まれたときは確かにそのようでありましたがね。今は玉名市・・・いや、その、むにゃむにゃ。

まめ閣下:おい、なにか申したか?
下僕:無駄話が長いのも、なんですからね。さあさ、さっそく昨日の課題図書の話に移りましょう。

まめ閣下:なんか話をそらされたような。

下僕:うぉっほん。はーい、みなさん、こちらが今回の課題図書でございます。今村夏子さんの「むらさきのスカートの女」。先日芥川賞を受賞したばかりの作品です。

 

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まめ閣下:塾生たちにも人気があるようだったな。

下僕:はい。今回は塾生が6名とやや少なめだったにもかかわらず、現代女性作家のなかで最も好き、という人や、デビュー作からずっと追いかけているファンもいましたね。この作品も受賞したから読んだというのではなく、出たときにすぐに買って読んでらっしゃいました。

まめ閣下:まず下僕の感想から聞こうかな。諸君はこの作家の作品は初めてで、そういう熱い読者たちと比べたらあまりたいした読みはできていなかっただろうからな。

下僕:さいざんすね。芥川賞というと結構読むのに力がいったり難解な作品だったりということがあるんですが、この作品は文章も非常に読みやすく展開も面白く、ラストにかけてはちゃんと事件らしい事件も起こって、普通のエンタメ作品として楽しめました。語り手は、むらさきのスカートの女の、所謂ストーカーであるようなんですが、時おり作中に「黄色いカーディガンの女」とか「権藤チーフ」として登場する場面がなければ、ごく普通の三人称視点で書かれた小説のようにも見えます。つまり、三人称視点の小説というのは作者自身が作中に登場しないだけで、その視点はストーカー的なものだともいえるなと思いました。

まめ閣下:そういう発見があった、というわけだにゃ。

下僕:はい。しかしストーカー的といえば、まあ、わたくし自身も多分にその素養はありますので、本作品の語り手のつきまとい方はどちらかと言えば普通というか、むしろ上品な感じで、びっくりするような粘着質なかんじとか変態性はないように感じました。それが読みやすさにつながっていると思います。不気味とか不穏とかいう言葉をいくつかの評でみかけましたが、私見としては、健全なるのめりこみから逸脱してはいないという感。小説を書く人であれば、ごく普通にこのくらい他者を観察しているのではないかなぁ、という気もいたしました。

まめ閣下:それで、他の塾生たちの感想は?

下僕:読みやすい、というのは皆の共通した意見だったようですね。児童文学っぽいと感じた人もいたみたいです。後味も悪くないし、好感がもてる、面白かったという人ばかりでした。

まめ閣下:その、熱心な読者たちの意見はどうだったんだ?

下僕:あー、そこはですね、この作品に関しては熱い読者たちは「最高」とは言ってませんでした。デビュー作「こちらあみ子」を一番に推す人もいたし、初期の作品に比べるとちょっと丸くなったというかエッジが効いてないというか、破天荒さが弱くなって、物語としていろいろきちんと回収しちゃっているところが「らしく」ないと感じた方もいましたね。この作者の魅力はなんと言っても語りで、この作品もまさにそれが魅力。一見何でもない文章に見えるけれど、実はこういうのは書けそうで書けない、と。そして、やはり熱心な読者の読みは違うなぁと思ったのが、わたくしが述べた「語り手が作中に出てこなければ三人称視点の普通の小説」という点について、「これは力業みたいなもんだ」とおっしゃる方がいたことです。語り手は登場しているけれど、その存在自体が揺らいでいる。どんなに熱心にストーカー行為をしていたとしても知りえないことまで知っていたり、あとこれはわたくしも思ったことなのですが、もし語り手が権藤チーフだったら無職のときのむらさきのスカートの女をここまで子細に観察できていただろうか、自分は仕事をしているわけだし、というように、やはり語り手が現実に存在する人物とするには無理があるわけで、これは通常の小説であれば一種の破綻であるのに、それをえいやっと作品にしてしまっているわけで、それもわたくしのような愚なる読者にはさほど不自然とも思わせず読みやすいと思わせるほどの自然さでやってのけてしまうのは、やはりものすごい才能だとしか言えない、ということですね。企んでやったことなのかどうかわからないけれど、この作家の場合、企みとは無縁でとにかく才気だけで書いているのじゃないかと思う、というのが熱い読者の意見でありました。

まめ閣下:なるほどにゃ。それに対してN氏はなんと言っていたんにゃ?

下僕:熱心な読者たち同様、この作家の才能を高く評価されていました。この作家の作品は、筋よりもエピソードを連ねて書いていくもので、一読すればそれがいい作品というのは明らかなのだがどこがどういうふうにいいのか分析するのは困難な作家である。よしもとばななさんと同じタイプ、だそうです。この作品は極めて奇妙な作りである、最後はいろんなものを回収しきれていない、というよりも「いろいろ放り投げたまま終わった」っていう感じでいわゆる「小説作法」というものからは逸脱している。しかしながら極めて面白く、ラストも秀逸。こんな作品を書けるのはやはり天才なんじゃないだろうか、ってN氏にしてはべた褒めだったと思いますよ。

まめ閣下:にゃるほど。下僕よ、己の足りない読みを悟ったかにゃ?

下僕:はい、そりゃあもう。みなさん、さすがでいらっしゃいまする。あ、そういえば今回もN氏は今回の芥川賞受賞は今村さん、と予想されていました。これでここ5~6回ずっと予想を外していません。さらに次回の受賞は〇〇さんだね、って、まだ候補作も出ていない今から予言していましたよ。

まめ閣下:ほお、それはおもしろいな。

下僕:なんだか最近は予想が外れない、言ってみれば誰にあげるかというのにある法則みたいなものがみえてきてしまってるから、なんかつまんないんだよね、だそうです。

その予想が当たるかどうかについても半年後が楽しみですね!

まめ閣下:ふーん、予からすればなんで芥川賞だけそんなに大騒ぎするのか不思議でならないけどにゃ。