Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【読書会】2021年6月6日「トーベ・ヤンソン短編集」

・言葉の意味とは。理解とは。

・小説の言葉とは。

・それにつけても「読書会」ってすごいわ。

f:id:RocknBungaku:20210607151045j:plain

下僕:閣下、昨日の読書会も白熱しましたね。

まめ閣下:ん? 予にはただの世間話にしか聞こえなかったが。

下僕:あ、そうか。閣下は読書会本編が終わってから参加されたんでしたね。

まめ閣下:なんで肝心のところに予を入れぬのかにゃ。

下僕:いいじゃないですか、懇談会は楽しまれたんですから。だって閣下は自由気ままに突然絶叫ライブを始めちゃったりするから。

まめ閣下:それが猫というものじゃにゃいか。魂の叫びは止められにゃい!

下僕:はいはい、すみませんでした。じゃあ、いつものようにいいとこどりで閣下にもご報告いたしますよ。

まめ閣下:いつも「いいとこどり」してるとも思わんが。

下僕:あー、こほん。始めますよ。昨日の課題図書はこちら。トーベ・ヤンソンは多種多様な短編を数多く残しているのですが、そのなかからいくつかのテーマに沿って選んだ短編集です。今回課題となったのは、<創作><旅><老いと死の予感>の3テーマで14作品です。

まめ閣下:トーベ・ヤンソンって言ったら「ムーミン」の作家ではにゃいかな?

下僕:はい、さすがよくご存じで。閣下が「ムーミン」を知ったのは、テレビアニメで? それとも原作の方ですか?

まめ閣下:そりゃあ、テレビアニメに決まっておる。

下僕:えっ、つまりそれは、ある一定以上の年齢ってことですね? たしか閣下は今二十歳ですよね? ムーミンのアニメ版を観ていた世代だとすると、年齢詐称じゃありませんか?

まめ閣下:ば、ばかをいうでない。これはつまりあれだ、下僕からの脳内伝達。下僕が見聞きしたことを予に脳内で伝えているというこのブログの前提を忘れてもらっては、困る。

下僕:うーん。ムーミンのアニメについてお伝えしたことはなかったと思いますが、まあいいや。

まめ閣下:とにかく、トーベ・ヤンソン短編集。たくさんの作品を取り上げたんだにゃ。

下僕:はい。すごく短いものが多いので。しかし案外読むのはたいへんでしたよ。わたくしだけかもしれませんが。

まめ閣下:貴君のごとき愚の巨人には難しすぎる内容ってことか。

下僕:愚の巨人。ま、それはたしかに当たっておりますが。なんというか、すんなりと読み込めなくて、先に進むのに時間がかかったんですよね。なんでだろうと思っていたんですが、昨日みなさんの話を聞いていて、ああそうか、ってわかったんです。たぶん文章がそこに書かれている言葉の表面の意味だけの連なりではないというか、複層的というか。ほら、我々が日常的に接している文章ってのはさくさく読めてすぐに意味がわかるって種類のものじゃないですか。ネットの情報、雑誌の記事。小説にはそうではないものもありますが、エンタメなんかだとするする読めることが大事だったりしますよね。トーベ作品はそういう見地からいうと小説の文章ではなく詩に近い。もちろんストーリーもちゃんとあるし風景描写や生活のディテールも素晴らしいし決して抽象的ではない。人物造形も豊かで、ユーモアにあふれた作品もある。でもなんだろう、一文を消化するのに時間がかかるっていうか、読んでも消化しきれないまま次に行くという感じ。言葉の表面だけを追っていたら見落としてしまうことがすごく多い。

まめ閣下:ふむ。なんか難しい感じだにゃ。

下僕:それがそうじゃないんですよ。面白い。でもさっと読んでしまうとわからないものも多い。まあそれこそが短編の本領というものなのかもしれないですが。

なんでそれに気づいたかというと、昨日の参加者8名はみなさんこの作品を気に入っていたんですけど、なかにお一人ものすごく心を掴まれた方がいて。その方の熱い語りを聞いていて、なるほどと。仮に名前をFさんといたしましょう。Fさんは今回の課題には入っていなかった「嵐」という作品に大いに目を啓かれたようなんです。なかに出てくる「夜」とか「夢」とか「クリスマスツリー」とかの単純な言葉にも、自分が今まで考えもしなかったものが含まれているのではないか。われわれが日々理解し認識しているものはすべて言葉を通してであるはずなのに、同じ言葉であってもそこには人それぞれにちがったものがあるのではないか。ズレがあって当然であるはずのものを、われわれはあえて素知らぬ顔をして「言葉の最大公約数的意と理解に媚びて」いるのではないか、と考えたらしいんです。うーむ、ちゃんと説明できてる自信はないんですけど。

まめ閣下:Fさん、愚なる下僕を許してやってくれよ。

下僕:Fさんは、わたくしがラストの意味をつかみきれないでいた「森」という作品についてもきっちり評してくださって、「子ども性とその世界が失われてしまうとき」というものをものすごく的確に描いた優れた作品だと絶賛されてました。ごっこ遊びのなかの真実が現実に直面することによって消される、というラストなんだと。

Fさんは、トーベが宮沢賢治と共通するところがあるとも指摘されてました。それについて別のSさんという方も、最後に収録された「雨」という作品に宮沢賢治の「眼二テ云フ」に通じるものを感じたと。死に瀕している人の視点、その瞬間を切り取る鋭さ。

また、「時間の感覚」という作品について、わたくしは単に認知症を患った祖母と祖母を愛するが故気遣うあまり神経質になりすぎてしまう青年の旅の物語で、でも本当は祖母の時間軸のほうがあるべきものではという話、という程度に読んでいたのですが、何人かの方が、語り手が「僕」から途中で三人称の「レンナルト」に変わっていくのには理由がある、信用のおけない語り手であることが示されている、と指摘して、あっ、そうなのかって。

あと「リス」とか「猿」という動物が出てくる作品があって、わたしはどちらも愛憎と簡単に言い切れない複雑な心理的愛着の表現だと読んでいたのですが、Kさんという方が「猿」のほうは「創作・芸術」のメタファーなのでは、とおっしゃって、たしかにそうかも、と。

もうね、うにょにょうにょにょ、わたくしごとき知の小人、いや愚の巨人には眼から鯛のごとき鱗がぼろぼろと削り落とされるようでございましたよ。

まめ閣下:なにを今更、って感じである。予がいつも言っておることではにゃいか。

下僕:はぁ。

まめ閣下:いっぱい作品があったけれど、特に評判がよかったのとかあるのかい?

下僕:ああ、はいはい。一番人気はやはり「雨」。死にゆく人のその瞬間、情景描写の美しさ。あとは孤島で暮らす女性とリスの不思議な関わりを書いた「リス」、美術館で見かけた尻の彫刻がほしくてたまらなくなった男とその恋人を描いた「愛の物語」、これぞまさしく「愛の物語」!って拳を振り上げたくなる。それに煩わしいしがらみをすべて捨て去って船旅に出た男が、結局そこでもやっかいな人々と関わることになるという喜劇「軽い手荷物の旅」。それから課題には入っていなかったのになぜか多くの人が「往復書簡」を上げていました。往復とはいうものの、熱烈なファンと思われる日本人の女の子からの手紙だけで綴られた物語です。ああ、そうそう、Kさんが「愛の物語」のなかのキーアイテムが尻の彫刻であることがすごい、と。それだけでもう読者を面白くてたまらない気持ちにさせる、他でもない尻というものを選ぶ「言葉の経済効率」コスパのよさがここに顕著に表れていて、すごいとおっしゃってましたね。

まめ閣下:にゃるほど。最小の言葉で最大の効果をもつものという意味だにゃ。短詩、詩の言葉にも通じる。予は猫であるからコスパとか経済効率ってのはよくわからんが。

下僕:わたくし、今日になってからFさん絶賛の「嵐」を読みました。本当に詩と小説の複合みたいな、美しく深く心に響く作品だと思いました。でもたぶん、一度読んだだけでは味わい尽くせない、とも。たぶんどの作品もそうなんですよね。短いし、思い立ったらいつでも何度でも読み返せる。そしてそのたびにまったく新しいものとして読めるかもしれない。

今回に限らず、読書会をやって他の人の話を聞くと、もう一度作品を読み返したくなることが多いです。自分だけで読んでいたら決して気づくことがなかったようなこともみつかる。語り合うってことはすごいなって思いました。そしていい作品ほど、誰かと語りたくなるものなんですよね。

まめ閣下:ふんふん。そうやって愚の鱗をこそげ落として、少しは愚の小人くらいにはなれるといいのう。

下僕:それって愚の巨人よりはましなんですかね? 知のミジンコくらいにしてもらえませんか?

まめ閣下:うーん、じゃあ、知のウィルスってあたりじゃどうかな。

下僕:はっ、ひとつ大事なことを言い忘れました。これ、翻訳も素晴らしいです! 冨原眞弓さんとおっしゃるフランス哲学が専門の方のようですが、トーベ・ヤンソン作品も多数手がけていらっしゃいます。この詩のような文章を日本語でごくごくと飲み込むように読ませていただけるなんて、至福でありましょう。