Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【講師のいる読書会】2021年6月12日町田康さんと本を読む第7回「津軽」太宰治@大磯・カフェマグネット

・一冊の本について話す気楽な会

・読書に正解はない、読んで感じたことを自由に語る

・このタイミングで太宰を課題に選んだ理由はとくになくて「早く決めないといけなかったから」と町田さんはおっしゃっておりましたが、ふと気づくと読書会の翌日は太宰が玉川上水に入水した日。やはり作家っていうのはこの世じゃないところと通じてて、なにか呼ばれるものがあったのではないかしらん。

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下僕:閣下、閣下、閣下。

まめ閣下:なんじゃ、うっせぇな。そんなに何度も呼ばんでも聞こえておる。

下僕:だって、だって、だって、

まめ閣下:〽ぼくんち、ケーキ屋なんだもん!!

下僕:ケーキ屋けんちゃん? ふっるー。だいたい閣下なんでそんな古い歌知ってるんですか。まだ二十年しか生きてないのに。

まめ閣下:それは下僕から脳内伝達で、・・・ってこの話この前もしたよな? 何度もおんなじこと言わせるでない。もう、いいから、さっさと本題にはいらんか。

下僕:はーい。昨日は例の大磯での読書会だったんです。コロナ禍でもうしばらくは開催されないと思ってたんですが。なななんと、参加人数を10名に制限しての開催。申込受付開始と同時に定員の3倍くらいのメールが来たそうです。先着順10名のなかに入れたことは非常にまったく最高にウルトラ超ラッキー! だったんでございますよ。

まめ閣下:ほう、くじ運の悪い貴君にしては珍しいことだな。

下僕:はい、まことに。苦節○十年、やっとオレにも運が向いてきたか!

まめ閣下:いや、これで幸運使い果たしたんだとおもうぞ。

下僕:そ、そんな不吉なこといわないでくださいよ。

まめ閣下:もう、いいから本の話に入ったらどうだ。

下僕:はい、はい。昨日の課題図書はこちらです。太宰治の「津軽」。大好きな作品について町田さんとともに語れるんですから、そりゃあ興奮もいたしますよね。なんちゃって、実はだいぶ昔に読んで、好きだった、面白かったということはおぼえていたんですが内容はかなり忘れてしまっていて、課題として取り上げていただき、また新たな気持ちで読むことができましたよ。

まめ閣下:物は言い様じゃな。貴君の場合、その、記憶力にいささか難あり、つーか、かなり残念な記憶力しか所持しておらないからな。しかしまあ、何度読んでも常に新鮮に読めるっていうのはある意味お得ではある。

下僕:ふん。(鼻息)

 

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まめ閣下:で、どうだったんだ、肝心の読書会は。

下僕:はい、今回は少人数だったので全員がじっくり感想を語る時間があり、さらにその感想について他の参加者も自由に発言して意見交換しましょうと町田さんが提案されたので、というか、以前から町田さんはそういう読書会をやりたいと思っていらっしゃったんだけど、これまではどうしても定員が30人超とかになってしまうから普通の講座みたいになって自分一人が先生になってしゃべってしまう形式になるのが不満だったようでして。で、参加者のほうもそのくらいの人数だとやはり発言をためらいがちになって、活発な意見交換とか難しかったんですよね。その点、昨日の読書会は最高でありました。わたくしなんぞはついつい話が長くなってしまって・・・

まめ閣下:なんだ、やっちまったか。

下僕:はぁ。わたくしひとりのせいではないはずでござりまするが・・・17時終了の予定が例によって例の如く18時まで延長に・・・

まめ閣下:ふぅ、まったく。

下僕:でもね、いい作品はどうしてもみんな語りたいことがたくさんあるじゃないですか。それに疑問に思ったことを出し合って、それについて自分はこう思ったとかを語るのが読書会の魅力ですから。わたくしが疑問に思った点についても、いろんな方がそれぞれの読みを話してくださって、ああそういう見方もあるかと気づかされたり。多面的に読めることになるんですよね。

まめ閣下:それは貴君が個人的にやってる読書会でも常に言っていることだにゃ。

下僕:はい。わたくしが読書会をやるようになったのは、こちらの大磯の読書会(第5回・課題は吉村萬壱さんの「前世は兎」)に参加して、町田さんの読書会に対する熱い思いに触れたからなんですよ。そして今回ようやく、町田さんが思い描いたような会になった。町田さんも「こういう形ならこれからもっとちょくちょくやりたい」とおっしゃってましたよ。

まめ閣下:はは、そりゃまた熾烈な申込の戦いが繰り広げられるというわけだにゃ。おい、しかし、なかなか本の内容に進まないのはどういうことだ。

下僕:ああ、えっと、みなさんの意見、同じところに感じ入ったり、それぞれ違っているところもあり、まとめきれないというのが本当のところでありまして。なかでも「太宰は津軽においてウィルスのような存在である」という説を出してきた方があって、衝撃的でしたがそれがなかなか説得力に満ちていて。詳しい話は他の方のご意見ですのでここには書きませんが、

まめ閣下:とか言って、理解がおよばなかったんであろう、貴君のこんにゃく頭では。

下僕:ぎ、ぎくっ。町田さんが「これはちゃんとした論文にしてどっかに出したらどうか」っておっしゃってましたよ。誰も考えたことがないようなものだったから。

まめ閣下:他の方々の意見は書きづらかろうが、貴君の読みは予に報告したっていいだろうよ。

下僕:長いですよ。

まめ閣下:まぁ、手短にな。

下僕:わたくしの話はあとで閣下にはかいつまんでお聞かせするとして、町田さんがどう思ったかということだけ。この旅は太宰の「子ども返り(退行・幼児化)」の旅ではなかったか。そこそこ名の売れた作家になってようやく故郷に帰ったものの、皆は志賀直哉ばっかり持ち上げて自分のことはさっぱり。名を上げて少しは見直してくれたんじゃないかと期待して実家に帰れば、やはりなんだか身の置き所がない。地元の人からはいまだに「津島の家の(ドラ)息子」という眼でしか見られない。作家としても男としてもダメという刻印を押された感がある。俺はダメだ。でも俺がダメになったのは本当に俺のせいなのか?という思いがある。俺が悪いんじゃなくて家族や家が悪いんじゃないのか。それで罪がなかったころの自分を育ててくれた女中のたけに会いに行く。使用人たちと心やすく過ごすうち自分は女中の子、使用人の側の人間なんだと考え、これまでの失敗を捨てて再出発しようとするという話なんでは、と。完全に幼児に戻って、天真爛漫無邪気に放ったのが有名なこの文末。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

最後の唐突な終わり方は、さすがに「力尽きた」んではなかろうか、とおっしゃってました。(例によって記憶は甚だ怪しいのでありますが)


***わたくしの拙い感想文を写真の下に貼り付けておきますんで、ご興味ございましたらチラ見でもしてくださいませね。話が長くてすんまへん。

 

 

 

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太宰治著「津軽」について

 この作品は故郷の津軽を実際に訪ねて綴った紀行文の形式をとっています。序編には、故郷とはいえこれまで自分が知っていた場所はほんのわずかでありこの機会に今まで知らなかった津軽を歩いてみたいと書かれています。実際初めて訪れる地についても書かれてはいますが、全体を通して読んでみるとそれは決して「縁もゆかりもない未踏の地にめずらしいものを見にいく旅」ではなく、太宰の心の故郷と呼ぶべきところに繋がる場所をたどっていく旅だと感じました。

 序編に書かれているように、太宰は津軽に対して「汝を愛し、汝を憎む」という両価的感情を抱いています。また家族に対しても同じような感情を抱いている、というか故郷と家族は分かちがたいものなのかもしれません。憎しみというのはもともと愛情から派生しているものですから、この作品は太宰が抱くさまざまな形の愛について書かれたものだと、読み終えてから感じました。太宰自身が序編の終わりに「私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。(中略)私はこのたびの旅行において、主としてこの一科目を追究した」と書いています。

 紀行文としての楽しさももちろんあります。とりわけ旅のあちこちで供される食材の豊かさは、とても終戦の一年前のこととは思われませんでした。とくに蟹田で出てくるものはどれも、行って食べてみたいと思わされました。

 本編の出だしは紀行文らしく軽やかに、自分の身なりの滑稽さ(紺色に染めたのに変色してむらさき色になってしまったジャンパーに緑色のゲートルとか)や古い知人たちとの酒宴の様子が面白おかしく書かれています。

 酒宴ではなんと言っても、世慣れた紳士然としていたSさんが自宅で酔って太宰を過剰にもてなそうとする場面から「Sさんは、処女の如くはにかんで、「いいえ、まだ」と答えたという。叱られるつもりでいるらしい。」に至るまで、腹を抱えて笑ってしまいました。「決して誇張法を用いて描写しているのではない」と書いていますが、そのみごとな書きぶりには作者のエンターテイナーとしての才能をみせつけられます。また、Sさんの逆上したようなもてなしぶりを「津軽人の愛情の表現」と評していますが、東北にいる自分の親戚の顔をいくつも思い出して、津軽に限らないよなあと思いました。

 酒に振り回されるエピソードがたびたび出てきて、酒飲みであることの哀しさ愚かしさがこの作品のもう一つのテーマなのかもしれないと思われたほどです。最初に(「二 蟹田」)、酒は泥酔などして礼を失しない程度ならいいのだ、自分はアルコールには強いのでよその家でごちそうになって乱に及ぶような馬鹿ではない、と言うようなことを書いておいたのは、その後につぎつぎ繰り広げられる酒ゆえの愚行をより面白おかしく読ませるための前ふりだったようにさえ思われました。実際、そのすぐ後に、宴会で言わなくてもいいことを言ってしまって「甚だいやしいことを、やっちゃった」と書いていますし、旅の最後の「五 西海岸」では、「このような自己嫌悪を、お酒を飲みすぎた後には必ず、おそらくは数千回、繰り返して経験しながら、未だに酒を廃す気持ちにはなれないのである。この酒飲みという弱点のゆえに、私はとかく人から軽んぜらる」と書いています。そういうところがまた太宰らしくてかわいいと、読者は思わされてしまうのです。

 「三 外ヶ浜」では古い友人であるN君との旅が書かれますが、ここでもまた酒飲みの哀しさ愚かしさを表すエピソード(本覚寺でのN君の思いも寄らぬ長話、衝動的に買ってしまった鯛など)がこれでもかと描かれています。すべてを通してN君への愛情が感じられ、「この友人を愛している」という一文は、太宰にしては珍しく裏を読む必要はないのだろうと感じました。

 前半は古いつながりの人たちと会い大いに飲んで旧交を温める様子を面白おかしく綴っているわけですが、「四 津軽平野」から様子が変わってきます。序編から四章の冒頭に長々と書かれる津軽の歴史に至るまでが、「大河が海に流れ込む直前に奇妙に躊躇して逆流するかのように流れが鈍くなっている」かのように、本題に入るのをためらって遠回りしていたのではないかとさえ思われました。とうとう金木の生家を訪ねることになるからです。勘当に近い扱いを受けていた長兄との対面に、太宰は緊張し身の置き所がないような感じを覚えます。父親代わりとして太宰を支え数々の不始末の尻ぬぐいもしてきた長兄を、太宰は煙たい存在だと感じているのがはしばしから伝わってきます。でも鹿の子川溜池を皆で訪れたとき他の者たちと気安く交われない長兄を目にして「兄は、いつでも孤独である」と書いているところに、常に厳しい家長としてふるまわなければいけない長兄に対し気持ちを寄せているのがわかります。「五 西海岸」で「長兄に対して父と同様のおっかなさを感じ、またそれゆえ安心して寄りかかってもいたし」と書いているように、これはこれで愛の形なのだろうと思わされました。

 金木の家ではまた、嫂や姪たち、子どものころから世話をしてくれていたアヤとともに楽しい時間を過ごし、修練農場や岩木山などこれまで知らなかった金木の魅力を発見します。家族に抱く複雑な感情とは違って、T君、アヤ、中畑さん、それにたけなど子どものころに世話をしてくれた人たちに対して太宰は愛情を隠すことなく描いています。

 母親代わりに自分を育ててくれた女中のたけに修治が会いに行くのが、この旅の、そしてこの作品のクライマックスです。二人がほぼ三十年ぶりの再会を果たすまでに、太宰はたくさんの障害を用意します。(小泊に着いたものの住所がわからない、人に聞いて訪ねて行っても留守、近所の人に尋ねてようやくたけが運動会に行ってることがわかる。)その苦難を乗り越えて国民学校にたどり着いたとき目にする運動会の描写がお伽話の世界のように美しく、ああこれでようやく思いが叶うのだと感じました。ところが太宰はまたしても障害を用意します。なりふり構わず必死に探し回っても人が多すぎてたけを見つけ出すことができません。あきらめてもう帰ろうかと学校を出て、帰りのバスの時間までどこかで何か食べようと思って宿屋へ入っても断られる。どこまでもついていない、修治の前に次から次へと現れる障害に読者ははらはらさせられ続けます。だからこそ、今生のいとまごいにと再びたけの家の前に行ってようやくたけの娘と顔を合わせるというところで、読者も拳を振り上げて喜ぶのです。ところが作者はそう簡単に話を進めてくれません。娘の案内でようやく会えたというのに、たけはさほど驚いた様子もなく淡々としています。それでも無言でたけのそばに腰を下ろしているだけで修治は満足し安心しきってしまいます。「胸中に一つも思う事がなかった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちのことを言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい」という描写で、どれほど幸福を感じているかがわかります。三十年ぶりに会うたけの姿を黙って観察して、モンペの柄にまで他のアバとは違うと贔屓目になってしまう修治がかわいく思えます。餅を勧めても食べたくないという修治に、たけが「餅のほうでないんだものな」と酒飲みであることを察した様子で、しきりにふかしているたばこを目にとめて「たばこだの酒だのは、教えねきやのう」と言われて、修治は咎められたように感じたようですが、わたしはこのたけの物言いに、東北人らしいおおらかなユーモアのようなものを感じました。

 その後二人は運動会を離れて竜神様の桜を見に行きます。その桜の下で、にわかにたけが堰を切ったようにしゃべりだします。どんなに自分が修治を恋しく思い会いたいと願ってきたか、せつせつと語る言葉に、読んでいるこちらも声を上げて泣いてしまいました。ああ、この津軽の旅は修治が心の母を訪ねる旅だったのか、と感動の嵐のなかで作品は終わります。

 作品の最後の部分には、「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった」と書かれていますが、これは例によって額面通りに受け取ってはならない太宰の言葉なのです。実際にはかなりの脚色や創作があったことが解説にも書かれています。

 しかしこの作品に描かれているかなりの出来事が創作だとしても、この作品の魅力は何にも代えがたいものです。実体験をそのまま書いているように見せかけて、実は念入りに創作の手を加え素晴らしく面白い作品にしてしまうのが太宰治という作家だと思いました。

 ひとつ、気になったところがあります。「三 外ヶ浜」では、津軽について書かれた文献をいくつか紹介してたいていは津軽がこの国の歴史や文化のなかで軽んじられてきたことを嘆いていますが(余談ですが三馬屋を襲った津波の前に起こったとされる超常現象が非常に美しく町田作品を彷彿とさせられました。)、佐藤理学士が書いた奥州産業総説のなかの「文芸復興直前のイタリヤにおいて見受けられたあの鬱勃たる擡頭(たいとう)力を、この奥州の地に認めなければならぬ。」以下の言説には大いに喜んでいる様子があります。この章の最後のところ、外から幼い女の子が手鞠歌を歌っているのが聞こえてくる場面で、佐藤理学士の言説がまた出てきます。歌を聴いて、「たまらない気持ちになった」という部分にわたしはちょっとひっかかりを覚えました。「たまらない気持ち」というのは、深く感動を覚えたということなのか、もっと複雑な、両価的感情がここにもあるのか。中央の人に未だに蝦夷と軽蔑されているこの地にもこのような美しい発音の爽やかな歌声が聞こえてくることに感動を覚えたというのはわかります。が、佐藤理学士の言説自体が、現代のわたしから見ると「底の浅い中央礼賛」のように思われてしまうのです。太宰は心から佐藤理学士の言説を喜ばしく感じていたのだろうか、と疑問に思いました。「明治大帝の教育」うんぬんという言葉が出てきているところを見ると、軍事的に大事な場所だから詳細には書けないというのが何度も出てくるのとあわせて、その時代、ひょっとするとそういうふうにしか書けなかったのでは、と穿って考えたりもしました。しかし「五 西海岸」にもまたこの佐藤理学士の言葉が登場します。歴史の自信がないがゆえに卑屈になってよその人のことを「卑しきもの」など蔑んでしまいがちな津軽人に対しての強力なエールとして捉えているのがわかります。

 今でこそ地方の独自性とか個性が尊ばれるようになってきましたが、考えてみるとついこの間まで自分も、東京こそが文化の発信地であり日本全国すべからく東京を追いかけ模倣していくべきだと考えていたような気がします。時代による価値観の変化を感じました。