Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【イベント】2022年4月30日十三浪曲寄席EXTRA 町田康 x 浪曲II 「パンク侍、斬られて候」於シアターセブン

・小説「パンク侍、斬られて候」を浪曲化。「これはカバーバージョンだ」(町田康

浪曲はブルースだ

浪曲は節回しとリズム

・台詞になってはダメ、歌ってもダメという難しさ

・なぜ浪曲に惹かれるのか

まめ閣下:おい、下僕よ。

下僕:あ、閣下! なんだかちょっとお久しぶりではありませんか。

まめ閣下:それは貴君が伏せっておったからであろう。ひと月も病に伏せっておったくせに、昨日はなんだ、突然遠出などしおって。まだ満足にまっすぐ歩けもしないようだから、予は心配しておったのだぞ。

下僕:はあ。まだ体感的には常に震度2くらい揺れ続けてはおるんですが、でもまあなんとか一人で歩けるくらいには回復、そこにたまたまこの公演チケットをお譲りくださるという方が現れましてね。客席数が40くらいの公演だったんで、瞬殺でソールドアウトになってたんであきらめていたものでしたが、こりゃあもう行けと神様が言ってるんだと解釈して大阪まで日帰りで行って参りましたよ。それがこちらの公演であります。

まめ閣下:まったく。もはや安定のヒドい写真だにゃ、二枚とも。なあ下僕よ。

下僕:まっこと返す言葉もござんせん。

まめ閣下:ま、しかたない。で、どうだった、公演は。

下僕:いやいや、浪曲ってのは初めてライブで観ましたが、予想以上におもしろかったです。うちは父親が浪曲好きで、時々レコードなんか聴いてたんですけどね、そのころわたくしはちっともその良さがわからなくって。節回しやなんかにはなじみはありましたけど、実際に一席通して聴いたことはなかった。今回のは原作を読んでいるから筋はわかりますけど、あの長編をどう浪曲にするのかと興味津々でおりましたが、前後編できちんと聞き所のあるエンタテイメントに仕立てられ、浪曲ならではの節にのせて三味線との掛け合いも見事で、これはなんというか、音楽のライブに近いものだな、と思いました。

まめ閣下:落語や講談とも違って。

下僕:そうそう。落語は話芸、講談も読み物・話の筋を聞かせる芸。浪曲は音楽的要素があってそっちが強めなんだなと感じました。実際に、昨日のトークで京山さんが「浪曲って実際には内容はあまりない」とおっしゃってました。筋というよりも、あるおもしろい場面を切り取って節やリズムに乗せていかにおもしろく聴かせるか。

まめ閣下:そうなると「パンク侍」は長編で、けっこう複雑な筋があるんではないか。

下僕:はい、まさに京山さんが今回の創作にあたって悩まれたのはそこだったようです。この作品のどこを使うか、それをどう加工するか、キャラクターをどう際立たせるか。

まめ閣下:にゃるほど。それはどうだった?

下僕:前半はやはり作品の冒頭の印象的なところから入ってましたね。でもベタで作品の順番そのまま行くんではなく、その後の展開に応じて必要なところで最低限の情報を入れる、みたいな。あ、そういえば、わたくし、今回は前編のみの口演なのかとばかり思っておりまして、「ちょうど時間となりました~続きはまたのお楽しみ」みたいなお決まりの最後の節で、「ん、もうっ。ほんとその通り!」なんて憤っておったんですが、なんと! トークの後に! 後編もちゃんと口演されたのでありました!!

まめ閣下:おいおい、もうほんとうに貴君は。そのオツムの出来の悪さ、写真の下手さと同じくらい安定しとる。まあ、聴けないとあきらめたものが聴けて、喜びもひとしおでよかったの。

下僕:そう、そういうポジティブシンキングでね。

まめ閣下:おめでたい、というんじゃよ、日本語では。Speak in Japanese.

下僕:(耳を素通り)トークはこんな感じでありましたー。写真撮影OKで、SNSなどにどんどん載せてください、と主催者の方が言ったとたん、みなさん写真撮りまくってましたね。

まめ閣下:トークではどんな話があったのかにゃ。

下僕:まず今回「パンク侍」がどうして浪曲化されたのか、という経緯。これは「男の愛」というもともと浪曲だった清水次郎長を小説化した町田さんの作品の出版インベントでお二人が対談されたときに、町田作品のなかで何か浪曲にできそうなものはと聴かれて、京山さんが思いついたのが「パンク侍」だったこと。実際やってみたら、さっき話したみたいにかなり大変だったようです。やはり短いもののほうが浪曲にはしやすい、と。それで、なんと、次は浪曲向けの作品を町田さんが書き下ろしましょう! ということになりました。

まめ閣下:おおー、すごい展開ではないか!

下僕:はい。「ええっ! ほんとにいいんですか!」と驚く京山さんたちに、町田さんは「何より自分がおもしろいと思う浪曲が聴きたい」と。それに、もともと浪曲好きの町田さんは、自分の書いた物が浪曲の節で語られるのはやはりたまらないらしいんです。

まめ閣下:浪曲のどういうところに町田さんは惹かれておるのかにゃ。

下僕:もちろん節も好きだし、語り口の芸が好きというのもありますが、なにより「浪曲には人間の根底にあるシンプルないつわりない感情があるから」だそうです。人間の哀しみなどいつわりのない生の感情が観念というフィルターを通さずに語られている。ロックなどの音楽はある種の建前であり観念的である。しかしそのロックの源となったブルースにはそういう観念的なものがない、浪曲にも同じものを感じる、と町田さんがおっしゃったとき、京山さんが「僕、ブルースが好きなんです!」ととても喜んでいらっしゃいました。浪曲もある程度決まりはあるなかで即興でプレイするみたいなところがあって似ていると感じていた、とも。実際観てみて三味線との掛け合いなんて、まさにジャムセッションって感じました。あと、ちゃんと芸として成立しているのに現在はちょっとすたってるところも、ギラギラとした商業主義に走ってない感じでいいとおっしゃってました。

まめ閣下:そのー、関係者の面前で「すたってる」って言っちゃったのか(笑)。それで町田さんはこの浪曲版「パンク侍」はどう感じたって?

下僕:まず、映画化されるよりうれしかった、と。心象風景の美しさで読ませる小説であれば映像化も楽しみだろうけれど、口調で読ませるような作品は、浪曲の節にのせて聴いてみたいと思っていたそうです。今回口演を聴いて、自分が書いた部分と京山さんが浪曲として作った部分が区別がつかないほど見事に融合されていたと思った。これは自分がやっている「宇治拾遺物語」とか「ギケイキ」と同じような、「カバーバージョン」と言える。今回の京山さんの公演では、飛び上がったり踊ったりというアクションや演出があって、生の芸そのものの味を楽しむことができた、とのことでしたよ。

まめ閣下:なるほど、大満足、という感じかな。

下僕:はい。わたくし、浪曲のことは素人でまったくわからないことばかりだったんですが、今回京山さんのお話を聞いて、浪曲の創作についてへぇ、そうなのか、といろいろ勉強になりました。さきほども申し上げたように、どこを使ってどう加工するかという構成の部分ももちろんありますが、あとはやっぱり節を決めるのが大変なんだそうです。浪曲は台詞になってはダメで、でも歌ってしまってもダメなんだそう。どこをどういう節で語るのか。節回しにもパターンがあってそれを使うのか、あらたに自分で作るのか。こうしようと考えていても、実際演じると変わってしまうこともあってそのときはどうするか。こうやって考えると、浪曲はジャズのようでもありますね。

まめ閣下:遠路はるばる行ったかいがあったの。

下僕:あ、そうだ。これは昨日会場で配られた京山幸太さんのインタビューの一部なんですが、京山さんの町田さん愛が溢れる箇所があったので一部載っけておきます。

まめ閣下:ーー好きですやん(笑)

下僕:(笑、笑)