Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

2019年7月10日 生誕110年 町田康とよむ太宰治 第2回 @NHK文化センター青山教室

まめ閣下:おい、下僕よ。

下僕:なんでございましょう、閣下。

まめ閣下:しばらくわが屋敷を離れてどこぞを放浪していたようだが、旅先からはたった1回手紙をよこしたきりで、帰ってきたかと思ったらまた夜遅くまで外出していたってのはどういう了見だ?

下僕:あ、あいすみません。だって昨夜はこちらの第2回目の講座があったのですよ。わたくしとて戻ってすぐにまた夜のお出かけにて閣下のもとを離れるのは心苦しかったのですが、この講座にはひときわ深い思い入れがありますのでいたしかたないではないですか。

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今回は入り口にこの立て看板がなかったので第1回のものを貼っておきます。

まめ閣下:まぁ、そういうことならしかたない。予もそんなに心の狭い主ではないからな。で、どうだったんだ、講座のほうは。あんまり長くならないように、かいつまんで予に教えたまへ。

下僕:はい、できるだけ簡潔にやりましょう。今回は第1回目のおさらいのような感じで、前回説明されたパターン:

金持ちのぼんぼんであること、薬中、妻の不貞など、いくつかの苦悩を抱えた太宰がその苦しみから逃れるためにとった行動は

1)キリストに自分をなぞらえて、他の人々のために自らを犠牲にしようとする

2)自己の切り下げ(のちの逃げ道のために自分をあらかじめ卑下しておく、道化)

3)果てしない自己の掘り下げ(徹底的に自分の内部をみつめる)

4)逆ギレ(自分にはすべて背負うのは無理)

5)自殺

このような心の振幅を何度も繰り返し5回目にしてとうとう死んでしまったわけですが、その振幅を、実際の作品から抜粋して具体的に示してくれました。

たとえば2)については、「乞食学生」を例に、そのなかに登場する作家が自分がいかにダメな作家であるかを延々と語っている部分を朗読し、自分をとことん貶めて読者を笑わせようとしていることに言及、またちょっと変なところのある登場人物が3人とも太宰の分身とも読めるとおっしゃいました。また、3)については、大家族がみなで一つの物語を紡ぐという作品「ろまん灯篭」をとりあげ、家族のそれぞれが執筆の前にとる奇態な行動の詳細な描写を、これもすべて太宰自身のことなのではないかと。自分を貶めて読者を笑わせることにつなげている、おっしゃいました。

また前回も取り上げた「姥捨」について、今回はさらに細かく、上記のパターンに沿って掘り下げました。主人公嘉七が、まず自分がいかにダメな人間か語り切り下げるが、またすぐにそれに耐えられなくなるという繰り返しを、「言葉の力によって自分を押し下げてようやく一息つけるのだけれど、やはりそれは長持ちしなくてまた自分が上がってきてしまってその空間が無くなり、苦しくてわけがわからなくなる」と説明していました。その繰り返しのなかで、許せない罪を犯した妻だが、いい人であって死なせたらいけないと思い、また自分の意に沿わない行動をとる妻をそういうふうにしたのは自分であると責任を感じ、すべて自分が為したことが自分にはね返ってきているのだと思い、自分はこの女を許さねばならないと考える。しかしさらに自分を深く掘り下げていくと、倫理では許さなければと思うのだけれど、自分の気持ちがどうしても許せないと感じていることに気づく。死に場所に選んだ温泉に行くまでの汽車のなかで、窓ガラスに向かってひとり語る嘉七の感情の動きは、まさに上記の太宰のパターンを表したものである。

苦悩を和らげるために太宰は苦しみを合理的に理解しようと試みる、と町田さんは言います。太宰のなかには自分はユダ(=キリスト)である、という意識がある。だからこれまで他の人からどんなに悪く言われようとそれに反論をしないできた。ユダの悪が強ければ強いほどキリストの光が増すように。自分もまた歴史的使命として(他者を救うために)死なねばならない。この世界に人が存在する限りその苦しみの総量は変わらない。であれば自分がそのうちのいくらかを背負って死ぬことで苦しみはその分だけ減らせるのだから。

ところがそうやって合理的に(理性によって)理解しようとするものの、その倫理が、上に書いたように、「気持ち」のほうが上回ってしまうことによって「逆ギレ」という形になってしまう。この「姥捨」のなかでも、嘉七は心中の失敗の過程のなかで、「この女は俺には重すぎる」「俺は無力の人間だ」「一生この女に尽くすのか、いやだ、別れよう」という気持ちになり、そして「単純になろう」「人間は素朴に生きるしかないのだ」として、「愛しながら去っていく」という選択をする。最後には「あたりまえに生きていく生んだ」と、これまでの苦悩とそれに振り回されていた自分を、ちゃぶ台を返すみたいにして、人生をリセットしようとする。(アンチクライマックス的)

これこそまさに太宰の人生における繰り返しのパターンだと、町田さんは説明していました。

ここまでが前回のおさらいとより詳細な読みというもので、魅力的な朗読もたっくさんあったし解説にも熱が入ったので、当然時間は残り少なくなりました。町田さんのいつものごとく最後は駆け足です。次回やります、と言っていた「太宰の文体」については、「落語的」「音楽的」という言葉を述べただけでさっと通過、「現代に読み継がれる理由、現代的意義」というところに残り時間を費やしました。その理由として、

・思想(コード)を作品のバックグラウンドにしていないこと。

・ひとりひとりの人間のなかにある、個人の苦しさに誠実に向き合って書かれている作品であること。

・時代の流行・雰囲気にのまれていない。(例えば、戦中と戦後でがらりと変わったりしていない)

というのを挙げていました。これは、先日の三島賞の選評で三国さんの「いかれころ」について評価されていたことと重なりますね。

まめ閣下:「小説の現代性」とはなにか、という話のことだな。

下僕:そうです。さすが、よく憶えていらっしゃいますね! で、講座の最後の最後に駆け込むようにして「風の便り」という作品を取り上げました。これは木戸一郎という若い作家と井原退蔵という先輩作家の書簡で構成された作品で、町田さんが言うには他の作品同様どちらも太宰の分身のようでもあり、また木戸が太宰で井原が井伏ではないかと読むこともできる。町田さんが読み上げた部分は主に井原が木戸に対して書いた手紙からの抜粋だったのですが、そのすべてががあまりに深くわたくしの心に刺さりまして、この作品はわたくし未読だったので今朝になってさっそく「青空文庫」で読みました。

以下、「風の便り」から、一部抜粋します。まずは、今回の講座で言及された太宰のパターンを示しているところ。

*「君は、そんな自嘲じちょうの言葉で人に甘えて、君自身の怠惰と傲慢をごまかそうとしているだけです。」

*「君は、ことさらに自分を惨めに書く事を好むようですね。やめるがよい。貯金帳を縁の下に隠しているのと同じ心境ですよ。」

 これはまさに、上記「自己の切り下げ」に対する批判ですよね。これは他人(井伏さん)から言われたのか。あるいは太宰自身の自己批判なのか。だとしたら、そのように自己を客観視できる人間がどうして何度も自死へ向かうのか、わたくしは疑問に思います。講座でも、自分を卑下して笑わせている部分がずいぶん紹介されてましたが、他者を笑わせるように自分を書けるということは冷徹な観察眼、客観性がないとできないことですから。そのような目をもちながら、なぜ太宰は何度も同じパターンを繰り返したのでしょうね。この講座を聞いたあとでも、わたくしにはやはり不思議に思われます。これは今後の課題ですね。

以下は、小説を書く者として、心に深く刻んでおきたいと感じた言葉を:

*「小説に於いては、決して芸術的雰囲気をねらっては、いけません。あれは、お手本のあねさまの絵の上に、薄い紙を載せ、震えながら鉛筆で透き写しをしているような、全く滑稽こっけいな幼い遊戯であります。一つとして見るべきものがありません。雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜じとくであります。」

 同様のことは町田さん自身何度もおっしゃっていて、先日の三島賞の選評はじめ、このブログでも何度かとりあげましたね。

 

*「一本の筆と一帖の紙を与えられたら、作家はそこに王国を創つくる事が出来るではないか。君は、自身の影におびえているのです。君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのは嘘で、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです。作家が死滅したのです。

 

*「自分は君に、「作家は仕事をしなければならぬ。」と再三、忠告した筈でありました。それは決して、一篇の傑作を書け、という意味ではなかったのです。それさえ一つ書いたら死んでもいいなんて、そんな傑作は、あるもんじゃない。作家は、歩くように、いつでも仕事をしていなければならぬという事を私は言ったつもりです。生活と同じ速度で、呼吸と同じ調子で、絶えず歩いていなければならぬ。どこまで行ったら一休み出来るとか、これを一つ書いたら、当分、威張って怠けていてもいいとか、そんな事は、学校の試験勉強みたいで、ふざけた話だ。なめている。肩書や資格を取るために、作品を書いているのでもないでしょう。生きているのと同じ速度で、あせらず怠らず、絶えず仕事をすすめていなければならぬ。

 

*「駄作だの傑作だの凡作だのというのは、後の人が各々の好みできめる事です。作家が後もどりして、その評定に参加している図は、奇妙なものです。作家は、平気で歩いて居ればいいのです。五十年、六十年、死ぬるまで歩いていなければならぬ。「傑作」を、せめて一つと、りきんでいるのは、あれは逃げ仕度をしている人です。それを書いて、休みたい。自殺する作家には、この傑作意識の犠牲者が多いようです。」

 わたくしも、生きているのと同じ速度で、死ぬまで書き続けよう、と思いましたよ。

 

まめ閣下:よし、出かけたかいがあったな。しかし簡潔に、と言ったわりにはまたしても長々と語ったものだなぁ。

下僕:はい、町田さんに習いまして。

まめ閣下:そういうところは真似しなくてもいいんじゃないのか。

下僕:あ、そういえばまだ町田さんの昨夜の服装についてお知らせしてませんでしたね。パーカーやジーンズや足元などは前回とほぼ同じアイテムで固めていらっしゃいましたが、シャツが、前回は白シャツにネクタイというわりと固めだったのに対し、今回はシャガール風の絵柄の黒ベースのアロハシャツでしたー。胸元解禁、じゃなかった、開襟シャツ。

まめ閣下:もう、「康さん病」(注)もたいがいにせい。
下僕:あ、前回も書きましたが、この講座はラジオで10月くらいに放送があるそうで、NHKのサイトでもしばらく聞けるらしいです。

(注)「康さん病」
以前PCに向かっていた下僕が突然、
「閣下、閣下。今わたくし『降参、降参』って打ち込んだのに、このPCときたら『康さん、康さん』だなんて、まるで、冷たい男の仕打ちに嘆き悲しむ女みたいにすがってくるんですよ。このPC、そうとうイカレてますね」

などといいだし、それを聞いた閣下がすかさず、

イカレてるのはお前のほうじゃ、ボケ。高山病ならぬ、康さん病じゃな。質の悪い」と言ったことに由来する。