Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【講演】2020年2月23日「残響を聴く2 ~町田康が語る朔太郎のことば~」@町田市民文学館ことばらんど

まめ閣下:おいおい、帰ってきたと思ったらまたすぐに出かけたりして、ちょっと落ち着かんかにゃ。

下僕:あ、閣下、すみません。今日、わたくしこのような催し物に行ってきたじゃないですか。それで、最後に読まれた文章をどうしてもちゃんと把握したいと思いまして。帰り道にいろいろ検索して文献の見当がついたので、家に戻ってすぐにまた図書館まで借りに行ってきたんです。

 

 

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まめ閣下:なんだ、常日頃は怠惰な諸君としては珍しく勉強熱心ではないか。

下僕:はぁ、わたくしがまあこのブログで、以前から悶々と抱いている「文学とはなにか」という問いかけへの答えみたいな感じがしたので、ちゃんと書き残しておきたくてですね。

まめ閣下:ふぅむ。まずそれについて聞きたいところだけれど、まあ一応例によって諸君の緩慢なる報告を順序だてて聴いていくことにしようかにゃ。

下僕:へぇ。そう言われちゃったらもう今回はそんなにだらだらやりませんよ。ざっくりいきます。今日の講座は、前半が町田さんによる萩原朔太郎の作品の朗読、後半が朔太郎の創作について町田さんのお話という構成でした。

 朗読されたのは、「地面の底の病気の顔」「竹」「悲しい月夜」「死」「猫」「薄暮の部屋」「卵」「小出新道」「帰郷」「品川沖観艦式」。壇上のプロジェクターに、町田さんが読み上げた一文が逐次表示されていくシステムで、まず耳を澄ませて音を感じ、後から文字を見て意味を捉えるということがやりやすかったです。

 お話の部の最初に、「朗読というのは演芸であって、自分は朗読に関しては”達人”であるから事前の練習とかやらなくてもたいてい立派にやりとげられる。だから今回もそうやって臨んだわけだが、さっきの朗読のなかで、2か所ほど読みながら「ん? これで大丈夫か?」と思ったところがあったので、休憩中に確認してみたら間違っていた。「帰郷」の「長なへに」という部分を「ながなえに」と読んだが正しくは「とこしなえに」であったし、「薄暮の部屋」の「坐るをとめよ」の部分を「坐るを、とめよ」と読んだけれど本当は「坐る乙女よ」であった。やはり練習は大事だ」と告白、会場の空気を和ませました。

 それから朔太郎の経歴についての説明があり、短歌から始まり詩に転じた過程を創作時の時勢順にあげました。

1.「ソライロノ花」

2.「愛憐詩篇

3.「月に吠える」

4.「青猫」

5.「郷土望景詩」

6.「氷島

 1.の時代の作品は、「こころ」とか「ふらんすへ行きたしと思へども」のようなわかりやすい、今でいう”ポエム”風なものだったのが、2.では「ちょっと何言ってるのかわからない、でもそこがおもしろい」という作風に変化していく、として、「夜汽車」という作品を取り上げました。一文ずつ内容を吟味していくのですが、最初ただ読んだだけだと「?」となったところが、繰り返し読み、さらにその詩を書いたころの朔太郎の私生活と照らし合わせていくと、ぼわんと、ふいにそこで書かれた心情が立ち上がってきたのですよ。まず作中に突然「ひとづま」という言葉が出てきて、次にもう一人寄り添うやつ、が出てくる。これはどういうことか。それについての町田さんの解釈は、この詩が書かれたのは、熊本、岡山と高校を移っても勉強がうまくいかず、再び京都の高校を受験することにしたころ。受験のために京都へ向かう列車の様子に材を取って書かれているのだろう。ひとづま、というのが、幼いころから執着していた妹の友だちである馬場なかこだったのでは、と推測。実際にその場に彼女が一緒だったわけではないだろうけど、妄想を詩にしたというか。朔太郎が医者の息子として立派に医院を継いでいたら結婚もできた間柄だったのに学業がそういう残念な状態だったので、なかこは他の人のところへ嫁いでしまったのだけれど、その後も二人の関係は続いたようだったんですね。彼女が嫁いだころに、「スバル」に掲載された朔太郎の以下の短歌:

 心臟に匕首たてよシャンパアニュ栓抜くごとき音のしつべき
 拳もて石の扉を打つごとき愚かもあへて君ゆゑにする

この2首はそのショックを歌ったものだと。その溢れてくる恋情というか感情が短歌に収まり切れなくて詩へ進むことになったのでは、とおっしゃっていました。

 それからさっき朗読した「地面の底の病気の顔」「竹」の前に書いた「竹の根の先を掘る人」という作品にも言及し、それらに共通して書かれているのは、ある病気・疾患への嫌悪や恐怖であると説明。朔太郎は私娼のもとへ通った時期がありそこで得た淋病らしいです。(しかし朔太郎が叔父に語ったことによると、これは「草木姦淫」を犯したことによる罰であるらしい。)なかこへの恋情と同様に、この病について書かれた作品もまた、非常に身体的であり実体のあるものである。朔太郎には「月食皆既」という性的エクスタシーを書いているような作品もあり、「浄罪詩篇」という作品でわかるように姦通罪を犯している苦しみと、病の苦しみが朔太郎の創作の根底にあるのではないか、というような話まできたところで、例によってもう時間が残り少なくなってしまいました。5.6.の時代の作品として朗読した「小出新道」や「品川沖観艦式」などの解説には触れられず、またもや時間切れ。

 しかしこれだけは、という感じで、「朔太郎にとって詩とは、芸術とは。本人はどう考えていたのか」について最後に、大正4年4月27日付の朔太郎の北原白秋への手紙を取り上げました。

 はい、お待たせいたしました。これでございます、これを求めてわたくしは図書館まで自転車飛ばしてきたのでございますよ。

まめ閣下:おお、ようやく出て来たか。予は待ちかねたぞ。

下僕:あいすみません。町田さんが朗読された部分を読み上げますね。

 「僕は芸術というもののほんとの意義を知ったような気がしました。それは一般に世間の人が考えているようなものではなく、それよりもずっと恐るべきものです、生存欲の本能から「助けてくれ」と絶叫する被殺害者の声のようなものです、その悲鳴が第三者にきかれたときその人間の生命が救われるのです。(彼はほとんど無自覚にそれを期待して居る)

 性欲の衝動にたえきれなくなって「助けてくれ」という人もある。飢餓のために叫ぶ人もある、美の憧憬に絶望の極泣き叫ぶ人もある、又私のように疾患の苦痛から悲鳴を上げる人もある。皆それぞれ真実です。そして芸術の価値はその絶叫、真実の度合の強弱によって定まるものと考えます、

 従って「美」とか「性欲」とかに対してその人の全生存本能が傾注された場合に始めて光ある芸術ができるわけです、あなたや私どもの芸術と今の多くの概念者流の芸術との根本的相違がここにあります、(彼ら概念者流は物の表面よりしか見ることができない、

 彼らは真実を求めているのでなくして、真実らしいものをもとめています。」

(漢字かなづかいの一部はわかりやすくしました。)

まめ閣下:にゃんだ、早い話がこれだけ書いとけばよかったんじゃね? 今日はざっくりとか言って、結局いつもどおり長々しくなってしまったじゃにゃいか。

下僕:ははは、それはそのー、町田さんに倣いましてぇ。あ、そうそう、今日の町田さんのお召し物はえらくしゅっとされていて、グレーに白のストライプの入ったちょっとしゃれた感じのジャケットに黒シャツ、シルバーグレーのタイ、黒のスラックスと、フォーマルな感じで決めていらして・・・

まめ閣下:ああ、もうよい、やめやめ。「康さん病」の疾患がでてきておるぞ。

下僕:え、そんなぁ。疾患だなんて。じゃあ、あのせっかくだから図書館で借りてきた本の写真も乗っけて、終わりにしておきますぅー。

 

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