Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

「ロックの老いの坂」と「汝、我が民に非ズ」の考察

下僕:ねぇ、閣下、6月にセカンドアルバムがとうとう出るんですよー。たのしみじゃあ、ござんせんか?

まめ閣下:それはこのところ下僕がことのほか熱をあげておる「汝、我が民に非ズ」ってバンドのことかい?

下僕:その通りでございます。ライブに通うようになったのは昨年の6月からでございますが、すべてとはいかないものの、先日の平成最後の夜の「民の最後祭」が8回目でございましたー。この頃ではライブがひと月以上ないと情緒不安定や無意味な飲酒、幻聴妄想爆裂などという重篤な禁断症状が出るありさまで・・・。

まめ閣下:それは予もよく知っておるぞ。夜明け前に床のなかでおかしな歌を歌って踊っていたりなぁ。でも無意味な飲酒は普段と同じではないか。

下僕:まぁ、それはそうですが。

まめ閣下:すぐにそうやって自分の悪癖の理由を他に求めるのが下僕のいかんところだ。悔い改めよ。

下僕:あいすみません。あ、でも今日はそういう話じゃなくてですね、そうやってライブに通い始めてしばらくの間、しかしこのバンドで町田さんがやっている音楽って「パンク」でいいのかなって、ちょっと考えていたのでありますよ。

まめ閣下:つまり「ジャンル」ってことか?

下僕:はい。わたくしとて、リアルタイムでセックスピストルズなんか聴いていた世代でありますから、いわゆる「パンク」って呼ばれる音楽については一定の形というのをイメージとして持っていますんでね。そこからはずいぶん離れてるようだよな、って。そんなふうに考えていたところに手に取っただいぶ昔の町田さんの著書に、もうはっきり答えが書かれているのを発見したんでありますよ。それについて書いたものがあるんで、ちょっと聞いていただけますか?

 『昨年から熱心に、町田康さんのバンド「汝、我が民に非ズ」の実演に通っている。「君、懲りずに行くよね~」というのは、次のアルバムに入るであろう新曲の歌詞の一部であるのだけれど、ことほどさように、すでに発売になっている1枚目のアルバムの楽曲はもちろん、現在制作中の2枚目に入るであろう新曲の数々も実演で耳にするうちにところどころ歌えるくらいには憶えてしまっている。
 そんなに熱心に聴いておりながら、このバンドの音楽というのはカテゴリー的にはいったいなんであるのか、というのが正直はっきりつかめないでいた。もちろん町田さんといえば、伝説のパンクバンドINU町田町蔵としてあまりにも有名な人で、現在の肩書にも「作家・パンクロッカー」とあるわけだから、やっている音楽としては「パンク」ということになるのだろうか、とは思う。
 しかしながらこのバンドの楽曲を結構な感じの数聴いていると、ノリのいいロックテイストの曲もあればジャズっぽい曲もあり、コンテンポラリーな感じの難しいリズムの曲があったかと思うと、どこか懐かしの昭和歌謡を思わせる歌もあったりする。町田さんとほぼ同年代で洋楽好き、セックスピストルズに始まるパンクロックもかなりのめりこんで聴いていた身としては、最初の印象としては「パンクではないよな」だった。ロックというカテゴリーにすら収まり切れないのではないか、というのが実感としてあって、まあ音楽を聴くにあたってはそういう分類というかカテゴリーわけみたいなのはどうでもいいことではあるんだけれど、なんとなくもやもやしたものを抱えていた。
 「汝、…」の前のプロジェクトのアルバム「犬とチャーハンのすきま」は、なるほどこれよりは少しパンク風味が強い。でもパンクと呼ぶには音楽的完成度が高すぎないか? 最近になって、北澤組やINUのアルバムをCDで手に入れて聴いているんだけれど、年代を遡るにしたがってパンク度があがっていく印象がある。INUの「メシ食うな!」はまぎれもなくパンクだ、たぶん。自分のイメージするパンクと合致する。少なくとも「パンク」と呼んでも抵抗はない。なんつたってこれは1981年に出たアルバムで、今からさかのぼること38年前、町田さんはまだ10代。発祥の地・米英でのパンクムーブメントはすでに終息を迎えていたけれど、その残骸やらそこから派生したニューウェイブなんかもあって「パンク」という音楽が実態としてぎりぎり存在していた時代。
そこから徐々にパンクの匂いが消えていった、ってーことはつまり、年齢を重ねたことによる変化なのか、時流を反映しての変化なのか。などということをぼんやり考えていたおり、初期のエッセー集「つるつるの壺」というのを手に入れた。(大昔に買って読んだような気になっていたのだけれど本棚を探しても見当たらず、インターネットの密林・尼損からお買い得セールの案内があったので入手いたしたもの。)で、その本を読み始めたとたんに、「あ、そういうことか!」と一瞬にして目の前が開けるような感じがありましたのよ。まさに、指を切って「あ、痛っ!」ってなるような反射的な感じで。天啓とでもいいましょうかね。
 「ロックの老いの坂」という文章。一部抜粋します。
 「ロック音楽というのは、若い者の、その無軌道、その無目的、その未熟、その乱暴さ、その無分別といった、若さによる衝動の衝動のごときによって創始された音楽のひとつの態様を指す呼称であるからであって、例えば落語、例えば浄瑠璃、例えばジャズのように、ある明確な形式を指して言う言葉ではない」

「だから、形式は、きわめて乱暴にいってしまえば、老いや成熟をその表現の中に抱え込むだけの度量がある。ところがロックは、その根本のところに、若さ、といういい加減、しかし絶対的なひとの生涯におけるある時期、というものがこれあるわけで、だから例えば職業野球など、スポーツ選手に関して言われるところの、選手寿命、というものに似た、もうこれ以上は肉体的にも精神的にも無理、体力・気力の限界、というものが明確にあるのであり、やるうちそういうことはだんだんに分かってくる。つまり、いつまで、俺ぁこんなことやってんだ、と思うから,ミュージシャンはある時期になると、形式のある音楽、つまり、ジャズ、現代音楽、ポピュラー音楽全般、などの勉強を始め、仕事の重心をその方面にシフトする、或いは(中略)評論家になる。コーチ(アレンジャー・プロデューサー)になる、という風に転身を図るのであるが、しかしながらこれは、ある程度その世界で地歩を築いたものにのみ許される転身であり、(中略)ところが、くち惜しいことに、自分はそういうことがまるで分らなかった。おそらく思慮が足らぬ、といういか、浅はかというか、まあ、一言で言うと、怠惰だったのだろう、そうして、二十五歳という年齢が一般社会の定年である、というロック界特有の老いの概念に気がつかず、形式を獲得する努力もしないまま、三十六歳になる現在まで、べんべんと現役を続けてしまったのである。」


 なるほど、ロックというのは若さによって創始された『音楽の態様』であって『形式』ではないのですね。若さというのは宿命的に寿命が短くやがて失われゆくもの、それを補うために音楽家は形式を身に着ける、ということか。
 と、深く納得したすぐあとに、わたくしは気づいたわけです。この文章を書いてからさらに20年余の時を経ても未だ現役を続けている町田さんがたどりついた音楽が、「汝、……」であるという事実。このバンドの音楽を一言で形容するのが難しいのは、いろんなジャンルの要素を芳醇に湛えていながら、どのジャンルにも収まらないからではないか。
 まだかなり若かったころの町田さんが言うところの「老いの必然」としてたどり着くところの「形式」というものを取り入れつつも、同時にその形式の枠組みを飛び越えて融合させて、つまりクロスオーバーあるいはフュージョンさせて、一種独特な「汝、我が民に非ズ」としか形容のしようのない音楽を作り上げているわけですね。その核になっているのはもちろん、町田康の狂人もとい強靭なる言葉ということなのでありましょう。
 ああ、なんという啓示。まるで雷に打たれた瞬間に悟るというような。こういうのは久々だったので、勢いこのような長文にしてまとめておこうと思ったわけでした。

 そしてもう一つ、やや小粒な疑問についても解らしき手ごたえが。
 ミュージシャン町田町蔵よりも小説家・町田康の著作のファンとしてスタートしたわたくしからすると、なぜ小説家がバンド活動を、それもこんなに熱心に実演などするのだろうか、という疑問があった。執筆と人前で演奏するというのは、どちらも表現という行為ではあるけれど、行動としてベクトルが真逆な感じがあって、なんというか、どちらも高度なレベルで達成しようとするなら両立は難しい作業なんではないか、と感じていたのであります。小説でやりたいことできてて評価もされてて、もはや他のツールとかいらんじゃん、ってのもあり。
 でもやはり「つるつるの壺」を読んでわかりましたよ。町田さんは小説家になる以前に音楽を、詞を、表現するものとして存在していたわけで、そっちが原型、源、オリジンというわけなんだすな。そうしていたところに、たまたま小説という表現の場を与えられて、なんかしらんけどそっちのほうで高く評価された。
 これは、町田さんにとってみれば、表現の手法が増えただけであって、こちらもやはり音楽と文学のクロスオーバーとフュージョンというものに繋がっているというのを見ればわかるように、歌も小説も町田さんのなかでは同じ地平にあるものなんでしょう。』

下僕:閣下、閣下? 起きてくださいよ!

まめ閣下:……あ、終わったのか? あんまり長いから、つい。猫は集中力が長く続かんのだ。

下僕:もう(怒)! 聞いてましたか?

まめ閣下:ああ、その程度のことなら別にあらためて読み聞かせられんでも、脳内伝達ですでに知っておった。

下僕:とっころがですね、続きがあるんですよー。

まめ閣下:なに、まだ続くのか?

下僕:最後の「やや小粒な疑問」のほうについてなんですがね。

まめ閣下:なぜ小説家がバンド活動を、ってやつか?

下僕:はい、執筆という行為と実演という行為はベクトルが逆なんでは?というやつです。それについて、「文藝」という雑誌の2017年冬号で古川日出男さんとの対談のなかで話されていることに、すでにちゃんと答えがあったんです。

まめ閣下:ずいぶん古いのを持ち出してきたな。

下僕:はい、ちょっと他に必要があって調べ物をしていたらたまたまみつけまして。

まめ閣下:で、その答えってのは?

下僕:この対談自体、テーマが芸能と文学についてなんですけれどね、そのなかで町田さんは「歌にまた興味が出てきた」って言ってるんですよ。「日本の文学の根底は、結局音楽なのかなっていう気がしたんですよ。いまで言う音楽とはちょっと違うんですけど、歌になるのではと。貴族や公家社会とは別のところで、『平家物語』や『義経記』は曲として、音として流通していた。(中略)自分が書いたものをあらためて読んでみると、いま僕はそっちの方向に向かってるのかなという気がします。」って。

まめ閣下:それで立ち上げたのが「汝、・・・」だったわけか。

下僕:ええ、おそらく。この対談を読んでいろいろ深く考えるものがありましたが、はっきりわかったのは、町田さんのなかでは「音楽」も「小説」もあんまり隔たりがないもの、同じ地平、創造活動というひと括りのなかの、色合い、グラデーションの違い、みたいなものなのかなぁっていうことです。それこそ「汝、・・・」の音楽のように、あらゆる垣根を飛び越えて。その形式へのこだわりのなさこそが「パンク」なんじゃないかって、ようやくこの愚なる頭で理解いたしました、という次第なんです。

まめ閣下:にゃるほどにゃ。下僕なりに、考え続けるということは大事であるぞ。

下僕:はい。これからは一民多君主制のもとで、一下僕、一民として、精進いたす所存でございます。

まめ閣下:一民多君主制??? なんだ、それは。

下僕:ははは、まぁ、これからも末永く閣下の下僕でありますよ。

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