Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

【読書会】2020年1月25日「献灯使」多和田葉子@マルカフェ

下僕:閣下、閣下。わたくし昨日出かけてたでしょ。読書会だったんです。課題図書はこちら。

 

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まめ閣下:なんや、いつにもましてひどい写真ではないか。

下僕:はは、キンドルですからね。電子書籍は欲しい時にすぐ入手できるし旅行のときは何冊も持っていくのにもかさばらないし読み終わっても置く場所をとらないし、というメリットはあるんですが、やはり文学作品は電子書籍よりも紙の本がいいですね。とくに何度も読み返したいようなものは。あれどこに書いてあったんだっけ、とかページをばばって繰って目的の箇所をみつけたりとか、前のほうや目次とか奥付なんかを必要に応じて参照するようなときに絶対紙のほうが使い勝手がいいです。

まめ閣下:それはひょっとすると諸君が電子書籍をもっと便利に使いこなす技術を有しておらないからではないのかにゃ。

下僕:まぁ、そうかもしれませんが。あとね、寝る前に読んでて寝落ちしたときなんか、顔に落ちてきて痛いんですよ。

まめ閣下:そりゃ寝台で読まなけりゃよいではないか。

下僕:そう、おっしゃいますがねぇ。寝る前に本を読むのが習慣化しているんですから。読まないと眠れないんですよぉ。

まめ閣下:ふぅん、一行も読まないうちに寝ておるほうが多いように見えるがにゃ。あれは睡眠学習ってやつか?

下僕:ぎゃふん。(気を取り直し)さて、じゃ、読書会の話にまいりましょうかね。昨日の課題図書は多和田葉子さんの短編集「献灯使」。主に表題作について語り合いました。多和田作品はこれが初めてという方もいましたが、独特の言葉づかいや名前のつけかた、比喩などが巧みで魅力的というのは、わりと共通した意見でした。大きな災害が起こった後鎖国している状況の具体的な設定などにも巧みさが感じられるけれど、それが好きかどうかというのは別の問題で、たとえば震災が織り込まれているけれどやや寓話的すぎる、とか理屈っぽいというか頭で考えている感じが苦手、という意見も聞かれました。ディストピア小説というと、カズオイシグロの「私を離さないで」というのがまず頭に浮かんで、つい比べてしまうという方も。この作品が書かれたのは2014年でトランプが大統領に就任する以前だったはずなのに一国主義的世界や、近年とみに深刻化している異常気象などもすでに盛り込まれていて、先見性が感じられるという方もいましたね。物語の組立てには疑問を感じるところもあるけれど、ところどころに出てくるはっとする表現に「こういうのが読みたいから小説を読むのだ」と感じたという意見もありました。また、震災というのが物語の底にあるはずなのに、被災者の気持ちが遠いというか切実さが足りないと感じて読んでいたけれど、ラストの一文、「後頭部から手袋をはめて伸びてきた闇に脳味噌をごっそりつかまれ、無名は真っ暗な海峡の深みに落ちていった」という表現に、津波に飲み込まれた人の感覚を思わされたという意見には唸らされました。

まめ閣下:下僕はどんな感想をもったんじゃ?

下僕:はい、今回課題図書になったので、だいぶ前に一度読んでたものを再読したのですが、ラストの解釈ががらりと変わってしまって驚いたので、その点をみなさんに訊ねてみたんです。

まめ閣下:がらりと変わった?

下僕:はい、最初に読んだときは、体の弱い無名だけれど、弱いなりに15歳まで成長して、幼いころ好意を抱いていたの子と再会し、砂浜に車いすでふたりダイブしたりして青春を謳歌、献灯使として外国に派遣される未来を手にして、虚弱なりにきらきら光るシーン、希望を感じる終わり方だと読んでたんです。が、今回再読してみたら、このラストは、教室で倒れた無名が再び意識を取り戻すまでにみた夢か幻想のようなもので、最後は無名は死んでしまうんじゃないか!と、希望じゃなくて絶望的な最後だった、と思ったんです。

 やはりみなさん、最後についてはいろいろ考えていらっしゃったようで、解釈がわかれました。最初からわたくしの再読後と同様の読み方をされてた人もいて、悲しく衝撃的な最後だけれど作者としたらこういう形で終わらせるしかなかったのかな、とおっしゃる方もいました。わたくしの最初の読み方と同じように希望に満ちた美しい終わり方だと解釈する方もいました。脳だけが残った状態なんじゃないか、という意見も。また、無名は死んでしまうけれど希望は残った、絶望的なラストではない、という意見もありましたね。それぞれにちゃんとなぜそう感じたかの理由もあって、やはりこの作品の最後についてはいろんな解釈ができるんだと実感。最後の場面が無名の夢とか幻想だとしたら無名が知りえないようなことが出ているのはおかしい、とかね。そんなことで大いに盛り上がりました。

 ひとつ、わたくしがすっかり読み飛ばしていた点で、パン屋さんは実は元献灯使だったのではないか、という意見にはっと驚かされました。献灯使の会の本部は四国にあって、このパン屋さんも四国、昔の話のなかで蝋燭についてなぜか細かく語られるところがあり、献灯使の儀式に用いられるのが蝋燭でその直径まで決まっているという記述があるという指摘。ああ、そういうことだったのか、と他の点にもいろいろ納得いたしました。

まめ閣下:ま、諸君の頭の出来は・・・

下僕:はいはい、みなまでおっしゃいますな。残念でございますから(しくしく)。だからこそ、こうやって他のみなさんと話し合うことで得られる気づきは本当にかけがえないものですね。

まめ閣下:読書会というものを草の根レベルで広げていくことが、康さん信者に課せられたミッションじゃなかったかね?

下僕:はい、さいでございます。なんでね、細々とこれからも続けていきますよ。なんたって楽しいし。あとね、昨日は会場がすばらしかったんでございますよ。雰囲気もお料理も素晴らしくて。心からくつろげる時間を過ごさせていただきました。

 

www.malucafe.com

 

まめ閣下:ふうん。予も一度行ってみたいものだにゃ。

下僕:そんなこと言って、キャリーにいれたら大絶叫するくせに。

 

 

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