Rock'n'文学

猫ときどき小説書き

読書「騎士団長殺し」村上春樹 (第1回目の感想)

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下僕:閣下、わたくし昨日ようやく「騎士団長殺し」全4巻読み終わりました!

まめ閣下:あー、おほん、きっと多くの民がその発言に「なに今ごろ?」って反応してると思うな。

下僕:だって閣下、わたくし本は可能な限り文庫になってから買う、長編は全巻出てからまとめて読む、という主義なんですもん。それに本を読むタイミングに遅いも早いもないではないですか。流行とかトレンドで読むわけじゃないんですから。人生のいずれかの時点で読むべき本に出会えればそれでいいんじゃないんですか?

まめ閣下:お、めずらしくまっとうなことを申すではないか。

下僕:まぁ文庫にこだわるのは主に保管スペースの問題と、読書の時間がもっぱら移動中であることが理由ですけどね。

まめ閣下:スペースの問題とかいうと、なんかちょっとけち臭い気がするが。

下僕:だってしかたないじゃないですか。閣下のお屋敷を間借りしている身ではありますがね、本はどんどん増えていく一方、できる限り効率的に保管することを考えないと、いずれ本に押しつぶされて死ぬることになりますよ。閣下がもっと広大なお屋敷を手に入れて引っ越しされるというなら話は違いますが。

まめ閣下:えっ、おほん、いやまぁ、鋭意努力したまえ。それじゃ、その感想とやらを聞かせてもらおうかな。

下僕:なんか話をすり替えましたね。まあいいか。本題に入りましょう。

まめ閣下:おう。

下僕:わたくしこの作品を読みだしてすぐに、「あー、これはこれまでの作品群のエッセンスの詰め合わせパックだな」と思ったんです。辛島ディビッドさんも「今年デビュー40周年の著者が、半生をかけて築き上げてきたスタイルのショーケース」と書評で書いてて、まさにその通り!と思ったわけです。ねじまき鳥や、世界の終わり、1Q84、などこれまでの作品に登場するモチーフや登場人物を彷彿とさせるものがてんこ盛りで。免色さんなんて、もう名前が「色彩を持たない・・・」ですからね。登場人物の台詞にも、過去作品のパロディっぽいのがあって、わたくしなんかは本来笑う場所でないところで笑っちゃったりしつつ読み進んでいったわけですが、やっぱりさすが春樹さんの作品は面白いんですよね。読み進めるにしたがって、どんどん加速度的にのめりこんでいくんです。そうやって読んでいくうちに、「ああ、なるほど、これはローリングストーンズだ」と思ったわけです。ストーンズってもうデビューしてから50年以上、ずっとほとんど同じようなセットリストでライブを続けてるんですよね。町田さんがいうところの「もはや伝統芸能」。でもそれがやっぱり素晴らしくて、ファンもそれを期待しているからどこのライブも大熱狂です。つまり、恐ろしく高品質なファンサービス。

まめ閣下:ふぅん。そこに新しいものはいらない、というわけか。

下僕:いえ、そういうわけではないんですよ。同じ曲をやっていても、それなりの進化もあるし彼ら自身が変化しているわけで、またほんの少しは新しい曲や普段はあまりやらない曲なんかも入るし。とにかくまあこれはこれで、ひとつのエンターテインメントの極致にあるのではないか、と。だからもうあとは安心して、村上春樹ワンダーランドという遊園地を心ゆくまで楽しみ尽くせばいいんだと思ったんです。でもね、さらに読み進んでいくうちに、あれ、それだけじゃない、と気づいたんです。

まめ閣下:ほう。なにがどう違っていた?

下僕:この作品は2部にわかれていて、3と4が第2部「遷ろうメタファー編」となっているんですが、その4が問題のところです。主人公が闇の世界、いわゆる「メタファーの世界」をくぐりぬけていく展開で、わたくしは思わず身を乗り出してしまったんですよ。

まめ閣下:びっくりするような展開が起こったということか?

下僕:うーん、ストーリー展開としてはそんなに驚くようなドラマはないかな。おそらくここの部分は退屈とかあんまりよくわからないなと感じる読者のほうが多いんじゃないかと。ファンサービスという観点からみると、少し親切心を欠いているかもしれません。

まめ閣下:わかりにくい、ということかな?

下僕:はい。なにせメタファーの世界のできごとで、現実世界の話ではないし、そこで起こるいろいろなことも具体性は乏しくて、いわゆる冒険ファンタジー映画のように見た目が派手で激しく興奮するような種類のものでもないんですよね。ちょっと観念的というか。でもわたくしは、ここの場面、とくに二重メタファーに飲み込まれそうになるのを必死にこらえて自分自身の潜在的な恐怖心を乗り越えようとする場面で思わず涙してしまったのです。これこそ、作者自身が実際に創作の現場で体験していることなんだ、って感じて。こんなに本当に死との境目のような場所をくぐりぬけて、小説というのは生まれてきているんだと思ったら、もう。(また思い出して、涙ぐむ)

まめ閣下:つまりそれは、創作するものの端くれとしての共感、ということかな。

下僕:はい、わたくしなどまったく塵芥のような存在ではありますが。わたくしはずっと春樹さんの何冊かのエッセイ(「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」「走ることについて語るときに僕の語ること」「職業としての小説家」など)を、わたくし自身の創作教本として何度も読み返してきたので、この場面が具体的にどういうことを意味しているのか、というのがなんとなくですが少しはわかるんです。だからこそ、いろんな困難や非現実的なものごとをのりこえて現実の世界に戻ってきて免色さんに助け上げてもらったとき、ああ、よかった、と心から喜びました。そして主人公がどうにか山の家に戻ることができ飲食したところで、わがことのように安堵しました。

まめ閣下:まあそういうエッセイも含めて、「これまでの自作の総体」とも言えるんじゃないのか?

下僕:ああ、そうなのかもしれませんね。最後は東日本大震災が出てくるのも、やはり阪神大震災のことを書いた作品からの系譜と考えられるかも。しかしねー、こんな観念的な展開を極上のエンターテインメントとして読ませるように書ける作家なんてそんなにいないんじゃないでしょうかね。あの場面、他の方はどう感じるかわかりませんが。

 まめ閣下:そういえば、この前の小説塾に来てた塾生のなかに、この作品をすでに3回も読んだというツワモノがいたんじゃないか?

下僕:ああ、そうそう。あの方はもう昔から村上春樹の大ファンですからね。あの方も最初は同じような感じを受けたと言ってました。しかし複数回読むうちに、この作品にはやはり今までの作品にはなかったもの、新しいものが発見できたって言ってましたよ。

まめ閣下:その新しいものってのはなんだろう?

下僕:さあ。わたくしはまだそこまでは。まだ1回しか読んでないし。あ、だけどこれまでの村上春樹作品とちょっとテイストが違うとすぐにわかるところありますよ。たとえば、主人公が食べているものとか、小田原、伊豆高原という具体的な場所が登場したり。まあ日本画が大きな役割を果たしてもいるわけで、今までと比べると和のテイストが感じられましたよね? 「どこでもない場所」っぽさが薄れたというか。

まめ閣下:そうかなぁ。食べてるものはやっぱり異国情緒があるおしゃれな感じのするものだし、聴いている音楽だってクラシックが主で、残りも洋物だったと思うが。

下僕:あ、そうだ、音楽のことはね、わたくしも言いたいことがありました。

まめ閣下:なんだ?

下僕:最初、この作品の現在は(第1巻の初版が2017年だから)だいたい2016年ごろなのだと思って読み進んでいったのですよ。それで主人公は36歳。そのわりに聴いてる音楽が、というか、自分の体験として聴いてきた音楽が歳いってすぎじゃないか、と思ったんです。春樹さん自身の聴いてきた音楽よりは少し若作りしているかもしれないけれどやっぱり老け趣味。だってどう考えても、今30代後半くらいの人が、ブルース・スプリングスティーンの「The River」をレコードで聴くべき音楽なのだ、なんて経験的にわかってたりしないと思うんです。実はわたくし、このレコード持ってますけどね。それがわかるのは、どんなにおませさんだったとしてもわたくしよりもせいぜい3、4歳年下くらいまでじゃないかなぁと勝手に思ったわけです。が、しかし。ラストに来て一気に歳月が流れて、実は物語の最初の時点は今からずいぶん前のことだとわかる。東日本大震災が起き小田原の家が火事になったとき、かつて13歳だった秋川まりえは「高校2年生かそこら」になっている、って書かれたので、その時点で当初36歳だった主人公も40歳くらいにはなっていることがわかりました。2011年で40歳だとすると、今48歳。まぁ、ぎりぎりThe Riverいけるかなぁ。どうかなぁ。このアルバムが出たのは1980年。主人公10歳くらいですよ。聴いていたとしたらかなりおませさん。このアルバムだけじゃなくて他の音楽についてもですが、同年代の子どもたちと比べてあんまり標準的とはいえない嗜好を獲得した背景をちょっと書いておく必要があったんじゃないですかねぇ。

まめ閣下:ああ、普通に人と話をしていても、音楽とかファッションとかサブカルチャーとかで世代がばれるってやつだな。年齢サバ読んでてもそこでばれちゃうんだよなー。

下僕:あら、閣下。よくそんなことご存じで。さては・・・。

まめ閣下:べ、べつに予は年齢をサバ読んだりはしていないぞ。生まれた場所も日時もわからんのだからサバを読みようがないもんね。

下僕:色味としてはサバトラ系なんですけどね。ははは。